僕の世界では、どんな奇跡も救いもこの腕の中にあるのだと、・・・・想像してみる。
イマジン
腕に収めたその人物は窮屈そうに身じろぎした。
罵声は飛んでこない。ひどく珍しいことだ。
抱きしめた最初に、言葉だけでの抵抗のように、離せよ、と一言発しただけだ。
それでもそれは本気の抵抗ではなかったようで、神田は黙って僕の腕に収まっていた。
神田のほうが背は高いから、僕が抱きついているような形だ。
「・・・・もう離せって言わないんですね」
僕は呟いた。問いかけは神田の意思を試すものではない。
僕自身が何も言わずに神田を抱きしめているだけのこの現実に、何とはなしに少し焦れたからだ。
会話がないのはいつものことで、口を開けばケンカばかりの僕たちは普通の会話にひどく不慣れだ。
それでもどちらかを今すぐ選び取れといわれるなら、何も言葉がない窮屈さに比べたら、慣れないことをする窮屈さの
ほうがまだましな気がした。
神田は溜息をついたようだ。低く静かな言葉が後を追う。
「言ったって聞きゃしねえだろ」
そこには波立った感情はなく、ただ呆れている、そんな響きだけがあった。僕は神田らしくもないそんな冷静さがどこ
かおかしくて少しだけ笑った。
「・・・・はい」
頷いたあとすぐに自分も人のことは言えないかと思いなおす。
冷静に見えて好戦的なのはどちらかというと見た目そのままに攻撃的な神田より性質が悪いのに違いない。
「でも神田なら、離さないとぶった斬る、くらい言いそうじゃないですか」
煽るわけでもなく僕はそういった。
ただ神田の声を今は聞いていたかった。抱きしめる以上の関係を望めない僕たちは、ひどく飢えて乾いている。
別に僕自身、そこから先に足を踏み入れたいかときかれたら曖昧なままだが、こうして布越しとはいえ体温を感じる
瞬間くらいは声を聞いていたい。
頭上ではまた溜息の嵐だ。舌打ちも混ざっていたかもしれない。
「斬ったところでどうせ離しゃしねェだろ、このバカモヤシ」
「死んだって離しません」
「なら意味なんざねえじゃねェか」
「諦めてくれるんですか」
「うるせえ。もう黙ってろ」
「黙ったらもう少しこのままでいい?」
「黙れっつったろうがモヤシ」
「・・・・ねえ神田。僕は君の声が聞きたいんです」
君の声が聞きたくて君に声を伝えたい。
「そんなの知ったことか」
「言わないとわかんないことって多いじゃないですか。今を逃したらもう伝える機会は永遠に閉ざされるような言葉、と
か」
僕は悪戯っぽく笑って見せた。
好きだといわない、言わせない仲を今更不満だと思うわけでもない。
恋愛の形は色々だ。たまたま僕たちの恋愛はそういう形で、そしてその形のほうが僕にも神田にも適合していたと言
うだけの話だ。
それでも曖昧なわけでも多分ない。これは確かに恋だと少なくとも僕は確信しているし、たぶん神田のほうでもそうだ
ろう。
ただわかりやすく言葉にしないだけだ。
僕のそんな気持ちをなぞるように神田は淡々と告げてきた。
「いわなくたってわかる言葉もあんだろうが。言うことで安っぽくうそ臭くなるんなら、言葉以外のもののほうが伝わる
こともあんだよ新人」
ぼそっと言い捨てる口調の神田の言葉に照れが見え隠れするのに、僕は気づかないふりをした。それをからかったり
しようものならすぐさま腕を振り払われてしまうだろう。ケンカになるかならないかは結局のところさじ加減一つだ。
それでもケンカという形で互いを知り合おうとする僕たちは、一言くらい言葉を控えたからといって時にはどうにもなら
ないが、少なくとも今の僕に神田と争う気持ちはないし、神田のほうでも多分そうだろう。
争うよりももっと有意義な方法で神田を感じているというのに争う意味はそこにない。
別の方向を突っ込んでみる。
「まだ僕新人ですか?」
落ちてきたのはやはり溜息だ。
「あんまりうるせえと、本当にぶった斬るぞ」
「・・・・はいはい」
僕は今度こそ口を閉ざした。神田の声はまだ少し聞いていたいけれど。
これ以上は本気で機嫌を損ねてしまうだろう。
それなら体温が感じられる今の状況だけに素直に至福を感じておくほうがいい。
頭上からはやはり何度も溜息の連発。神田の照れ隠しだ。
ただ黙って抱きしめられているという現実を甘受するには神田の性格上無理があるのだろう。
だから抵抗されないだけ僥倖だ、僕はそう思ってくすりと笑った。
神田の体温にうっとりと目を閉じる。
そんな無音の空間に、黙れと言ったくせに痺れを切らしたのは神田の方だった。呟きが険悪さを装って降りてくる。
「・・・・このまま寝やがったら殺す」
僕の世界の救いのすべてはこの腕の中にある。
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