手を繋ぐ。冷たい手だ。
君と僕の間に距離があるとしたら、それは君の冷たい手との温度差と同じだけの遠さなのだろうか。
他にもそれを示すようなものはたくさんで、出来ることならすべてのそれを、僕は埋めてしまいたかった。
きみとぼくのあいだに
「というわけで」
任務前夜の神田の部屋にやってきたアレンは、神田に書類の束を手渡してそう切り出した。
「な・に・が!というわけで、だ!」
手渡されたブツに視線を投げた神田は即座にそれを投げ捨てると、手をわなわなと蠢かせ、血管の浮かんだ額を痙
攣させながら、寝言は寝てから言いやがれ、と怒鳴るが、その声はあえなくアレンによって無視される。
「どれがいいですか?神田。全部とはいきませんけど、君の希望に沿えたらと思います」
にっこり、とアレンは笑った。
邪気のない笑顔だ。言っている内容が普通であれば、つられて頷いてしまいたいほどの誘惑に満ちている。
が、さすがにそういうわけにもいかない神田は、険悪に瞳を釣り上げた。
「よほど死にたいらしいな」
「死にたいわけないじゃないですか!これからが人生の華なのに!」
さらに怖ろしくいい笑顔で言い切るアレンに、神田のアレンに対するウザさは軽く許容範囲を飛び越えたらしかった
が。
抜刀しないのは、明日からの任務があるというのにこんなくだらないことにイノセンスを破損させるようなことがあった
ら面倒だから、の一言に尽きる。
「だったら部屋に帰れ、さっさと寝ろ、そしてどっか長期任務にでもいってくれ。オレの心の平穏のために」
いつもだとアレンはどんな冗談でも、神田がこのくらい怒鳴ればひっこめる。
だが今日のアレンはどうにも無茶な要求をしながらも、なぜか引く気はないらしかった。
「ひどいっ!酷くないですか!僕は神田のことを思って!男らしく中途半端なことはいけないと思ったんです!」
「それが余計なんだ!死ね!もういいから死んじまえ!」
一向に引く様子のないアレンを、とりあえず視界に入れるだけでも鈍い頭痛を感じ始めた神田は、今は疲れたい気分
ではないと、さっさとアレンを追い出すことにしたらしい。
後はもう無言で部屋のドアを開ける。
押し出そうとする神田と、それに抗おうとするアレンの、ある意味持久力勝負で、左手がある分アレン有利な勝負を
繰りひろげていると。
「二人とも何騒いでるんさ?」
アレンの背後から聞きなれた声が飛び込んできた。ラビだ。
コイツが絡んできたらおとなしく収まるものも収まらない、ただでさえモヤシ1人でも一度何かを言い出すと妙に頑固
で厄介なのにと、面倒事の到来の予感に神田はさらに眉を寄せる。
床に投げ捨てられた書類にちらりと視線を走らせたラビは、大体の事情は察したのだろう。笑いをこらえながらも、取
っ組み合うアレンと神田の間に身体を割り込ませてきた。
ちなみに床に散らばった書類の正体は、ブライダル雑誌、チラシ、そんなものだ。
アレンは味方ができたと思ったのか、はたまた愉快犯な気性からか、嬉しげにラビの手を取った。
「ラビ!酷いと思いませんか。僕、僕、もうどうしたらいいんでしょう!照れ隠しとはいえ神田がこんな酷いこというなん
て!反抗期ですか?!ちょっと出遅れた反抗期なんですね神田ぁっ?!」
流れてもいない涙を拭う振りをしつつ、ノンブレスで言い切ったアレンに、神田のアレンに対するウザさはMAXを越え
たようだった。
「うるせェ!黙れモヤシ!」
今日は厄日か?!厄日なのか?!コイツら、絶対オレで遊んでいるだろうと、その心中を舌打ちとともに投げ捨て
る。
「いいえ黙りませんっ!ほら!ラビも君が酷いって言ってますっ!」
「いってねえよ!」
「絶対神田ならドレスも似合いますし、日本の白無垢?でも僕は構いません」
「ふざけんな。お前が着ろ!」
「イヤです!絶対神田のほうが似合います」
「お前のほうが似合うに決まってんだろ」
「教会でドレス着て微笑む神田。綺麗です神田!自信を持ってください!」
「てめえ、勝手な妄想でにやけてんじゃねえ!」
「つかアレン、オレら一応ヴァチカンの神父だし、教会は同性愛は禁止さ」
放っておけば延々と続きそうな、どうやらどちらもそれなりにマジらしい言い合いに、ラビはぽりぽりと頬を掻きながら
どこか申し訳ないような気持ちで割り込んだ。
実際アレンのほうは神田をからかうための半ば冗談なのだろうと思って、一緒に愉しもうと思ってやってきたのに、ど
うにもアレンもマジらしいのに、どうしていいのかわからなくなったというのが本音だ。
ちなみにアレンが手を握っているので逃げられはしない。
「じ、じゃあ、新婚旅行だけでも!」
ラビの言葉に目を見開いて、それでもせめて、と言うように縋るように言ってくるアレンを、神田は魂の叫びで切り捨て
る。
「アホか!そんな暇あるか!行くならてめえ一人で行け!」
「ユウちゃん一人で行くのを新婚旅行とはいわないさー」
「そうですよ!」
あはは、と笑いながらも、明らかに割り込んできたことを後悔している様な顔で突っ込むラビに、アレンは力いっぱい
同意した。
「うっせえ!この馬鹿ども!とっとと出てけ!」
「でも考えてみたら、そうですよ。僕も神田も神父ですし。ラビだってそうです。だから僕たちの間で式を勝手に挙げて
もいいんですよ!」
名案、というようにいってくるアレンに、ラビは乾いた笑いを響かせる中、ついに神田がブチ切れる。
「ふざけんな!てめえら、くだらねえことで任務前のオレの貴重な睡眠時間を削んじゃねえよ!!」
言うなり神田はいつまでも部屋に居座る二人を突き飛ばした。
その二人の目の前で、ばんっ、と音を立ててドアが閉じられる。
二人仲良く尻餅をついた状態でそのドアをしばし見つめて。
「あちゃー。ユウ、マジで怒ってたな」
再び乾いた笑いを響かせながら呟くラビに、アレンはばら撒かれた書類を拾い集めながら、どこか寂しげに告げた。
「いいんです。僕も真面目なお話だったんですから」
寂しげにほんのりと笑ってみせるアレンは儚げでそれは可愛く見えたが。どのみち恋人同士の語らいにこれ以上付
き合わされてはたまらないラビは、さっさとその場を後にするべく、服をはたきながら立ち上がる。
「・・・・あ、そ。じゃあオレ、もう部屋帰るわ」
長居は無用だと第六感が告げていた。
ラビが手を振って遠ざかると、アレンも微笑を残した顔で小さく手を振った。
「うぉっ?!」
角を曲がったところで、知った顔にぶつかりそうになって、ラビは慌てて身をかわすことで衝突を避けた。
どうやら通りすがりにか、その前を通るに通れず立ち尽くし、結果立ち聞きすることになってしまったらしいリナリー
が、どこか呆れた顔で立っていたからだ。
「ねえ、ラビ。あれって任務頑張ってって言う遠まわしの激励かしら。それとも新手の痴話げんかなのかしら」
呟く声で問いかけるリナリーに、ラビも処置なしというように両手のひらを天に向ける。
「さあねー。ま、愉しそうだからいいんじゃない?」
「そうね」
くす、と笑って同意したリナリーの真意が、決して好意ばかりからくるものではないことは、続けられた言葉からうかが
い知れて、ラビは顔を引きつらせることになったのだが。
「今度あの二人が一緒の任務地になるときには、ハネムーン用の宿を手配するように兄さんに言っとくわ」
リナリーに限ってその言葉がささやかな思いやりなどというものではないことは分かりきっている。
要するにしょっちゅう通行を邪魔されることに対しての嫌がらせだろう。
そしてやるといったらやるのが彼女だ。
アレンは喜びそうではあるから、主に怒るのは神田だけであろうが。
ラビは顔を引きつらせたまま、やはり乾いた笑いを響かせることくらいしかできそうにはなかった。
「そりゃ、半分は冗談だったし、神田が素直に頷いてくれない事くらい分かってたけど。でも全く全て冗談でもなかった
のになあ」
アレンは書類を胸に抱いたまま小さく呟く。
もう一度、ドアをノックした。ドアは開かないし、当然のように返事も返らない。
溜息を吐き出して、アレンはそのドアに背中を預けて凭れかかった。
ドアに体温があるわけでもないのに、そこはほんのりと暖かい。人の気配がドアを隔ててすぐ向こうに確かにあるの
だ。おそらく神田もドアに背をもたせ掛けて、こちらの気配をうかがっているのだろう。
そう気づいて、アレンはその唇に笑みを刻んだ。
返事が返ることを期待して言いかける。ずっと、本当はずいぶん前から気になっていたことだ。
それを問いただしたことはない。禁句だということは、改めて神田に確認するまでもなく知っている。
それでも呟く声を止められはせずに。
「ねえ神田。僕、きっと君が、」
アレンは一瞬だけ、躊躇するように口を閉ざした。
ここから先は駄目だ。誰も入り込めはしない神田の中の禁足地なのだ。
聞いたところで、神田は答えてはくれないだろう。そう思っていながらもアレンの声はもう止まらない。
声にしてしまったのなら、その最悪の未来が現実のものとなってしまうような錯覚さえ、それをとめることはできない。
「・・・・死んだら。死ぬほど罵ります。きみはもう死んでるから、僕に何も言い返せはしないんです。でもそれは、勝っ
たことになるんですか?それとも負けたことになるんですか?」
砂時計から砂が零れ落ちる。残された砂は、もう後どれくらいあるというのだろう。
アレンは神田の冷たい手を思い、それから何度も神田の部屋を訪れるたびに目にしていた、花びらの装置を思い出
す。
あの装置の花と神田の胸元の凡字がなんらかの形でリンクし、消費され、食い散らかされる彼の命をここに繋ぎとめ
ているだけなのだと、いつからかアレンは気づいていた。
神田の声がドア越しに低く響く。
「別に、死ぬことは誰だって生まれたときからの宿命で運命だ。人には天命というものがある。・・・・生き残ったんな
ら、勝ったと思っとけよ。そのほうが気分いいだろうが」
声は淡々としたのもだ。なにかの余韻を引きずるわけでもない。そこに寂しいみたいな色が含まれていないことがア
レンを淡く安堵させた。それでも消えない不安は胸に深く沈めて、アレンは静かに問いかける。
できるだけ淡々と、深い感情の余韻を覗かせないよう低い声で。
「別に結婚じゃなくてもいいんです。でも僕たちの間には何も残らない。だから、形だけでも何か残したかったといった
ら、きみは幼稚だと笑いますか」
装置に落ちた花びらを、アレンは閉じた目蓋の闇に思い描く。
神田の声はそれには取り合わずに、囁くような密やかさで響いた。ドア越しで、聞こえることが奇跡なくらいの音量
だ。
「この世界には神がいるという。そんなものオレは信じはしねえが、いるらしい。だが、それがなんだってんだ?奇跡
は起こらない。人は絶望するしかない。それがイヤだから、」
「きみは、」
続くだろう神田の声を遮って告げるはずの、命を削るのか、との問いは言葉にされることなくアレンの唇に飲み込まれ
た。
言えないのではなく、言いたくないのだ。
言うまでもなく分かりきっていることを一々確認することに意味はない。もっと有意義なことがあるとするならば。
アレンはもう一度ドアをノックした。
「ねえ、やっぱり結婚式、しましよう」
もう一度。
アレンは開けてくれたらいいと、願いを込めてドアを叩く。
「キスだけでいいです、誓いのキスだけ、僕に下さい」
それだけで、他は何もいらないから。
そう呟く声にドアが開かれ、アレンの腕が強く引かれた。
奪うように重ねられた唇は、燃える命の確かな熱を持っていた。
※こちらも、実は藤代様のサイトの作品中にありました、結婚式、ドレス、白無垢、という言葉をキーワードに書いた駄
文ですので、神アレ寄りですが、もしよろしければしつこくてごめんなさいですが、藤代様に捧げます〜。 |