手を握った、そこから始まったもののその先に、何があるのかまだわからなくても。
 
 
天使とダイヤモンド





純粋な人間ほど扱いやすくて扱いにくい。
バカがつくほどのレベルになるとそれはなおさらだ。
存在感が決してないわけではない、というよりむしろ妙な意味でありすぎる相棒の姿を眺める。
今は背を向けて寝転がっているその姿に思い出されるのは。
びくびくとキョドる姿とか。
すいっと、怯えたようにそらされる視線とか。
はっきりしてない上に、何度もどもり倒す言葉とかとか。
そのくせ時折いい笑顔を見せる。ふにゃんと笑って、ほんの時々、こちらの心臓を鷲掴みにする。
そんな彼を自分がどう思うのかは、わからない。
わからないから、とてつもなく苛苛する。
 
 
 
 
 
ゴールデンウィークを利用して、野球部は合宿を行っていた。
今は夜だ。昼間あれだけの練習量をこなしているのだから大多数のメンバーはぐっすりと夢の中だ。
眠りの波というのは不思議なもので、一度それに乗り遅れると、次の到来まではずいぶんと間があったりする。
そんなこんなで、眠れないメンバーの1人、阿部隆也は開くともなく薄く開いた瞳で、ぼんやりと真っ暗な天井を見上
げた。
特別、なにが見えるわけでもない。
なにを捕らえようという目的がないせいもあるが、闇の中になにかの形を見出そうとするのはひどく苛苛する行為だ。
それでもほとんど光など存在しないような中でも、わずかな光を目は的確に捉え、だから慣れてさえきてしまえば、ぼ
んやりとでもものの形くらいは見えてくる。
暗い天井を眺める。
さして意味のない行為だ。見ようと思わなくてもその凹凸くらいは見えてくるが、だからなんだという問題でもない。
ふと、意識してということでもなく、言うなれば天井しか見えない視界に飽きて、視線を横に流してみた。
存在感のあるものが横たわっている。それがなんであるかは当然分かりすぎるほど分かっていた。
最近少しばかり阿部を悩ませてくれている三橋だ。
見ようと思わなければ見ずにすむものと違って、ふわふわとやわらかそうな相棒の髪の毛は色素が薄いせいか、そ
こだけなにかの光でも放っているかのように明るく、闇に浮かび上がって見えた。
何とはなしに手を伸ばしかけた。
そこにはどんな感情も伴うものではなかったが、ふわふわとやわらかそうなそれに、意識せず触れて見たいと思った
だけだ。
思いとどまって手を止めて、少しだけ神経を研ぎ澄ます。
眠りに沈んでいないだろうことは何とはなしに気配で分かった。
だからといって声をかける気まではしないのは、単純にそこここで雑魚寝をしているほかのメンバーを気遣ってのこと
などではないが。
こっそりと、溜息をつく。
阿部の三橋に対する印象というのはとりあえずは一つだった。
ビミョウな男だと、それに尽きる。
他にも感想はもちろんある。第一印象はどんな場合においても何も一つだけとは限らない。むしろ一つだけであること
のほうが少ないのではないか。
それでも、ビミョウだと、そうと思うだけにとどめておいた。
認めたくない感情が胸元をよぎったからだ。
例えば、ほんの少しだけでも、一瞬だけでも。
・・・・可愛いなんて思ったのは、それに似た気持ちが通り過ぎたのは、自分にさえも伏せておきたい事実だ。
苛苛する、その合間に見え隠れするのがそんなわずかな本音で、それが事実だからこそなおのこと苛苛する。
性質の悪い悪循環だ。わかっている。
ビミョウだ、と、可愛い(仮)。
まあ、ビミョウだ、とともかく、可愛い、は、男が同じ男に向ける第一印象としてはどうだろうと思わないでもないから、
とりあえず自分としては未確認としておきたいので仮ではあるが、どのみちビミョウと可愛いに接点はないに等しい。
どちらの気持ちが自分の中で大きいのかは分からないし、近いような遠いような、意味としての共通点はないように
思うのにその境が自分の中で希薄で曖昧なものになってくる。
目を開いて視界に入る夜の薄闇の中でその境はさらに曖昧に思えてきて、見極める意味を見失わせる。
苛苛する、それなのに必要不可欠できっと彼が欠けたら自分は三年間の野球を続ける意味さえ一瞬で失うような、
そんなそれが、錯覚なのか、あるいはどこまでも本音なのか。
見極めかねている。
「おい」
彼のその背中に低く呼びかける。
「う、うおっ?!」
背中は予想に反せずびくりとおびえるように震えた。
別に振り向くことは期待していない。
だから背を向けたそのままでいい。
ただの傀儡に過ぎないそれでも優れたプレイヤー。求めたのはそんな相手だった。そういう意味では理想の相手だ。
彼の心に根付いた劣等感はたやすく利用できた。彼なら驕らない。逆らわない。なにがあっても。
どこまでも自分を信用してついてくる。
そこまでは計算どおりなのに。
計算以外の予想外の付属物が頭を占めている。
信用されている。当たり前だ、そう仕向けたし、そうならなくては困る。
ただ予想外なのは自分がそれを受け止めることが、思いのほか嬉しかったことだ。
例えばどれほど信頼されても、こちらからは利用するだけで、同じものを返すつもりはなかったというのに。
信頼されていることがくすぐったいような嬉しいような気持ちになるのだ。
その気持ちがある限り、自分はきっと彼に尽くし続けるのだろう。
影に日向に、ただ彼のためになら。
手を伸ばして、前に伸ばされている三橋のその手を緩く握ってやる。
「ウヒ?!」
それだけで再び体は震える。つれてびくりと揺れた手をそれでもそのまま握りこんだ。
この手をきっと自分は守っていく。
「あ、」
戸惑ってやがる。
「さっさと寝ちまえ」
「う、うん。あの」
「あ?!」
「あ、阿部くんの隣だと、」
「・・・・んだよ?」
「と、と、隣だとっ、」
「・・・・オレは少し眠れる気がする」
「・・・・・そうかよ」
ウゼぇ。そしてビミョウだ。
・・・・でも。
その後に続きそうになった感情を力づくで飲み下して、ぐったりとオレは脱力した。
手を握る力は緩めない。
ウザくて、ビミョウで、ほんの少しだけ可愛い。なんなんだこのイキモノは。
理解できないながらも、かなり失礼なことを考えながら、自分に変化を与えてくれるその存在を眺めやる。
もしかすると彼はこの先も自分に数多くの変化をもたらすのかもしれない。彼だから、それができる。
こんな純粋バカはどこを探してもそうは見つかるものではないだろう。
純粋だから強くて弱くて、バカだから弱くて強い。扱いやすくて扱いにくい。
利用するだけと割り切っていた気持ちを根こそぎ破壊して、想像もし得ないような、別のものを植えつけていくからだ。
それが無意識なだけにたちが悪い。
「おもしれえやつ」
呟いた、その声は自棄のような響きも混じっていたかもしれなかった。
なんにせよ彼には届いていないだろう。
どうやら眠りの端っこでも捕まえたらしい背を眺めて。
 
 
 
 
 
くうくうと平和に寝息を漏らし始めた鼻先をつまんでやろうかと密かな仕返しを企てたのは、それからほんのわずか、
5秒後のこと。
 
 
 
 
 
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