本当は頭脳で割り切れる何かより、強くて眩しい感情が一つあればそれでいいのかもしれなかった。


破滅と再生





「抱き枕になってよ」

そんなことを言いながら、綱吉が骸の寝室を訪れるのはもう何度目かだ。

一々数えているわけでもない。そのために起きて待っているわけでもないから、寝た後に彼がやってきて、朝になっ
てからそうと気づくことも多い。

いくら殺気ではないとはいえ、綱吉の気配に自分が覚醒しない理由も、綱吉がなぜ数いる守護者の中から自分を選
ぶ理由も考えないでおく。

なぜ綱吉が、他に自分よりもっと甘やかしてくれそうな人間がたくさんいるというのに、そこに行かないのかなどと、綱
吉本人にしかわからないことを考えもしかたがないし、自分の気持ちを見下ろそうとするならば、それはさらに面白い
ことにはならないとわかりきっている。

それでも今日綱吉がやってきたのは、ちょうど浅い眠りが深いものへ変わるその瞬間で、そこで浮上した意識は睡魔
の気配を振り払えずにいた。

要するに寝ぼけていたのだ。

だから、今までただの一度も投げかけたことのない問いが、意識する前に口をついた。

「わんことかバットとか、あの鳥くんだって、僕よりは君を甘やかせてくれるでしよう。きみはどうしていつも僕にいじめ
られるのを選ぶんでしょうかねえ。もしかして綱吉くんはMですか」

きゅ、と胸元にすがり付いてきていた綱吉の気配が、わずかに離れる。ふわふわした綱吉の髪の毛の感触が離れて
いくのに、骸は薄く瞳を開いた。
骸の顔を覗き込んで間髪いれずに綱吉が反論してくる。

「違えよ!そうじゃないよ!」

綱吉の瞳に僅かばかりの翳りがよぎるのに、その意味を理解して骸はその唇に笑みをはいた。

「まだ別に迷惑とは言っていません。ただどうして僕なのかということを聞いているんです」

本当はどうでもよかったし、聞くつもりもなかった、ついでに言えばそのくらいは弁えて距離を置いているつもりだった
のだが。口に出してしまったものは仕方がないと、骸は眠気をかみ殺して開き直る。

聞いてしまった以上、綱吉は答えをくれるだろう。そういう意味では、ひねた自分と彼は違う。

少し困ったように沈黙して、それから視線を彷徨わせて、骸の眠気を帯びた瞳が冴え渡った光を宿し始めた頃やっ
と、綱吉は口を開いた。

「だってさ、お前、オレを甘やかさないだろ」

なるほど、と骸は思う。それこそを求めていたのかと。

それならば守護者の中でもっとも自分は適任といえるのかもしれない。

だが逆に言うならば、もっとも危険ともいえる、信用できない自分のところに無防備にもぐりこんでくるボスというのもど
うかと思うが。

「迂闊ですねえ」

骸が呆れたように呟けば、それを骸の納得と理解したのか綱吉は、大きくあくびをして、それから骸の胸に顔を埋め
なおした。背中に回された、自分のものより小さな腕に骸はわずかに身じろぎする。
そうしてぴたりと身体を密着させてから、綱吉は目を閉じて呟いた。

「いいのいいの。ボスなんて少しくらいヌケて見えるほうが下は尻尾を簡単に出すだろ?」

「本当に抜けているのと、抜けている振りをするのは違いますよ。君の場合は間違いなく前者です」

ぎゅ。

骸も綱吉の背に腕を回して引き寄せてやると、安心したように綱吉は目を閉じたまま微笑した。

「まったく。僕は君の癒しグッズではないんですけどね」

綱吉に安心しきった顔で縋られることに悪い気はしないが、だからといって、それをすんなりと受け入れられるほど図
太いわけでもない。

悪態の一つもつかないことには自分のプライドが保てないと、態と溜息をついて呆れたように呟けば、綱吉の真剣な
声が返る。

「オレに、辛辣な言葉を吐いてくれることが、お前の癒しだよ」

「僕に責められれば、君はどんなに割り切れない仕事の後でも罪を気持ちを、リセットすることができるわけですか」

その程度で忘れられることなのかと言外に含ませれば、胸元にある頭が横に振られた。

「できない。できないことを思い知らされる。でもそれでいいんだ。甘やかされたり慰められたりされるよりずっといい
から」

つまりは責めて欲しいわけだ。隠されるよりは突きつけられることで、受け入れてしまいたいわけだ。
逃げるわけでもなく。

そういうものかと理解して、綱吉らしいかと思い直す。

目を閉じて完全に眠る姿勢に入ってしまっているらしい綱吉に倣って骸も目を閉じた。

一度完全に覚醒してしまうと、眠気はなかなか襲ってはこない。さっきまでその中にあったのが不思議なくらいにだ。

仕方なくもう一度目を開いて、目の前にある薄茶の髪を手持ち無沙汰に何度か撫でた。

不思議なものだと思う。
そもそも自分が抱き枕にされ、それに甘んじているこの状況でさえ、不可思議以外のなにものでもないというのに。
綱吉がいるだけでこんなにも穏やかな気持ちになれることが、以前の自分からはとても想像がつかなくて、骸は唇に
苦笑を刻んだ。
綱吉の側はたまらなく居心地がいい。綱吉に染まるわけではないと、心に硬く決めていてもだ。

「僕はなにより、君の信念が欲しいですよ」

ふとした思いつきであるかのように、骸は意地悪く告げた。

「それは僕のような種類の人間には、手に入れられないものだと断言できますしね」

綱吉が眠ってしまっているのなら、それはそれで構わない。そう思って口にしたのに、綱吉はぱっちりと瞳を開いて、
それから顔を上げた。
その大きな瞳が、どういう意味なのかと問いかけてきているようで、それでも骸は綱吉にわかるように言いなおすつも
りなどなく。

どうにでも好きなように受け取れと、少し目を細めてみせた。

綱吉はその顔を見つめ、考えるようにして、それからゆっくりと口を開く。

「そんなことないんじゃないか。オレだって大したこと思ってるわけじゃないし」

「理解できないんですよ。あなたの信念は。でも眩しく感じます。これはなんでしようね」

「・・・・」

綱吉は口を噤んだ。哀しいみたいに見えるその顔を見ていたくなくて、骸は笑みを浮かべて目を伏せる。

「おや。理解できないですか?そうですね、例えばあなたは僕の考えが理解できないでしよう。僕の信念はあなたに
とって欲しいという種類のものではないはずだ。違いますか」

「違ってない」

答えは即答だ。骸は瞳をあげて一つ頷いて見せた。

「だから、でしようかね。強いて言えば」

「やっぱり全然分からない」

眉を寄せる綱吉に、辛抱強く、子供に言い聞かせるような穏やかさで言いかける。

「でしょう?僕とあなたは違うからですよ」

「そんなの当たり前じゃんか」

そうだ、当たり前なのだ。だからその結論はたった一つの単純なものでしかないというのに。

「違うから、欲しいと思うんです。ストライクゾーンど真ん中です」

骸はにっこり笑って会話の初めにも言った結論をもう一度口にした。
自分とは違うから理解はできない。けれど眩しく感じるから、欲しくてたまらない。ただそれは理解できないのと同じ
で、手には入らないものなのだ。

要するに、ないものねだり。

それならせめて、その傍にいたいと思うのは間違いではないはずだ。

骸が無言で綱吉の頤に指先を滑らせると、その指先の動きの怪しさになにやら身の危険を感じたのか、綱吉がその
指を引き剥がしにかかる。

「いやいやいや!オレは欲しいとは思わないから!」

「ええ。それが僕との違いでしょうね」

骸はやはりにっこり笑って告げた。綱吉が嫌そうに叫ぶ。

「話になんないしー!」

「本当にあなたを見ていると甘いし真っ直ぐだし考えが足りないし、バカだと思うんですけどねえ。あまりのバカさに感
動せられるような時があるんですよ。だからきみは面白い」

機嫌よさそうに骸は毒を吐きながら、ふと真顔になった。
愛しむようにその頬を撫でて、その呟きは綱吉の耳に密やかに零れた。

「だから、ちんたら後悔なんかしてないで、きみは君の思うとおりにするといい」

先ほどまでとは明らかに質の違う笑みを浮かべてみせる骸に、綱吉は困ったように呟く。

「それって褒めてないんじゃ」

「もちろんです。褒めてません。きみは完全無欠の、僕にとって二人といない、どうしようもない馬鹿ですから」

「うわ!マジで褒めてねええ!!」

はっきりきっぱり言い切られて、綱吉の叫びが部屋に響いた。

「だから言ったでしょう。褒めてませんと」

ぼすっ、と音を立ててシーツに顔を埋めた綱吉を骸は機嫌よく引き寄せた。

「僕に、いじめてほしいからくるんでしょう?いじめて欲しいならいつでも僕んとこきなさい。もうグウの音も出ないくらい
言い負かして差し上げますから」

言葉とは裏腹に声は優しく響いた。

結局自分も綱吉を甘やかせているのだ。やり方が他の守護者と違うというだけのことで。
綱吉も笑ったようだった。声だけが聞こえる。

「うん。これからもよろしく頼むよ、骸」





ほんの少しずつ。気づかないうちに甘やかされて、ゆるやかな毒に侵食されていく。
逆らう爪を剥がされ、牙を折られ、意志を解かされて、それが不快でないと思うくらいには彼に溺れている。
呼吸を侵されるわけではなく、手足を束縛されるわけではなく、水中に沈められるわけではなくても、確かに人は溺
れるのだ。

彼の大空になら、あまりに無力で、なす術もなく、呼吸さえ忘れ、ただ溺れる。





平和より理想より正しさより、君だけが望むことが、ただ、僕の全てになるのだ。





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