「あれ?お前がユウんとこにきたっていうアレンさ?」
オレンジの髪を揺らして開いたドアの隙間から顔を覗かせた男に、アレンは可愛らしく首を傾げて見せた。
「・・・・?神田の知り合いですか?」
WHIHT CAT LIFE
部活で帰りが遅くなるから、様子を見に来てやってくれって頼まれたんさ、と言う人好きのする笑顔に、アレンはきょと
んと目を見開いた。
「神田って、律儀ですねえ」
別に僕は1人でも平気なのに、とアレンは呟いた。
遅くなるとは昨日のうちに聞かされてもいるし、十分な食料は用意されているから、アレンとしてもなんら不満はな
い。
退屈には違いなかったが、居候の身分で贅沢がいえないことくらいは心得ている。
アレンは、勝手知ったる人の家状態でダイニングでお茶を入れているらしい青年を見上げた。
青年は、うわ、ユウんとこ本っ気で緑茶しかねえし、と呟きながらも、自分用のお茶を用意してきつつ、アレン用の皿
にもミルクを注いでくれた。
見上げる視線に気づいてか、視線を合わせるように屈んで、再び笑みを浮かべる。
「オレはラビ。よろしくな」
「僕はアレンです。こちらこそよろしく」
アレンもにっこり笑って、白い前足を差し出した。それを柔らかく握ったラビが続ける。
「アレンて本当にしゃべる猫なんさね。それも結構美猫さ」
「ありがとうございます。でも僕、男ですよ」
礼儀正しく答える子猫にミルクを勧めながら、ラビは問いかけた。
「で、アレンのことは、モヤシって呼んでいい?」
にやりと、ラビは悪戯っ子のような表情だ。
アレンはそんなラビを見上げて即座に告げた。
「・・・・ぶっとばしますよ?」
にっこ。ラビに眩しい位の笑顔を向ける。
ん?アレ?なんか黒いような。
ゴシゴシとラビは目を擦る。
眩しい、が、ドス黒い。どこまでも威圧感のある笑顔だ。
子猫相手にそんなものを感じるのもおかしな話だが、今余計なことを言うと、血を見そうな気がするのは気のせいな
のか。
ラビが屈んでいることで、アレンの目の前にあるラビの胸倉に、いつのまにかアレンの前足が触れている。
そこに信じられないくらいの力がかかってくるのに、ラビは慌てて訂正した。
「じ、冗談さ!本気にするなアレン!」
そうですか?、と平然と聞き返してきたアレンの瞳は笑っていない。前足もどけられない。
バックに背負ったドス黒いオーラが増幅していくような気がする。
胸にかけられた力も増していく。
ずず、と体が後ろに押されるのを、ラビは信じられないような気持ちで受け入れた。
怖えぇ!!アレン、目茶目茶怖えぇ!!
内心完全に怖気づくラビである。
ついに小さな子猫相手に、ごめんなさいと土下座で謝ったラビに、ようやく気が済んだのかアレンは前足をどけたの
だった。
「オレはユウちゃんの、幼馴染なんさ」
ラビは神田のなんなんですか、との子猫の問いに対して、ラビが返したのはそんな言葉だった。
そんな言葉しか思いつかなかったとも言える。それ以上でもそれ以下でもないからだ。
そしてその関係は、今後どれほど時間を重ねようとも、変化していかないものだと確信できる。
神田のことは一般的な審美眼から見ても綺麗な友人だと思うし、女子よりは男子に、数々の告白を受けて、神田が
キレていることも知っているが、ラビの中で神田との関係は、幼馴染以外のものになりようもないものだった。
なのでそのように正直に答える。
「ユウ?」
その呼び名に心当たりがなかったのだろう、子猫は首を傾げた。
その仕草は可愛い。白くて小作りで柔らかそうで、可愛い猫だと思う。
見かけによらずに、なかなかいい性格をしていそうだが、地雷さえ踏まなければ安全そうだ、と判断したラビは、気楽
な気持ちで問いに答えた。
「神田のファーストネーム。知らんかった?」
「ええ。ちっとも」
子猫の答えは即答だ。
まあそうだろうとラビは思う。
神田は、あまり自分のファーストネームを気に入っていない。女子のもののようだから、といっていたことを思い出す。
同じく幼馴染のリナリーには、そんなものにこだわっていること自体が女子みたいなのよ、とガツンと言われていたよ
うだったが。
とにもかくにも、そんな理由であまり気に入っていないから、そちらを名乗ることはほとんどしないし、ラビなどはから
かうつもりでそう呼んでいるが、普通にクラスメイトなどには、神田は絶対にそちらの名前では呼ばせない。
ラビに対しては、認めているのではなく、単純に言っても無駄だと諦めているだけだ。
諦めるまでにだって、数年にわたる攻防戦があったのだ。
なんにしろラビは、そんなことを説明するつもりもなく、子猫にけしかけた。
「今度呼んでみろよ。目ん玉カッて見開くぜ」
「ええええ!!目ん玉カッ、ですか!!あの美貌で?!見てみたい!!試してみよう・・・・」
アレンが嬉しげに歓声をあげる。
目をキラキラと煌かせて、うっとりと囁く子猫に、ラビは察する。
どうにもこの猫、ツボの在処が常人と少々ずれているらしい。というよりは単純に、神田のファンなのか。
後者は存外当たっていそうだ。
思ってラビはそれに対しては溜息をつくにとどめた。苦笑しながら付け加える。
「幻滅しない程度にな。ユウちゃん、本っ当にボキャブラリー少ないんだから」
バカだし、と付け加えたかったが、なけなしの良心を総動員してそれは控えた。
そこにも、アレンが過剰に反応しそうに思えたからだ。そういう予想は多分外れない。
アレンの多すぎる食事も終わり、あとは神田の帰りまで待つつもりらしいラビが、自分の夕食であるコンビニ弁当を食
べ終わったのを見計らったように、子猫が問いかけてきた。
「ラビは神田のこと子供の頃から知っているんでしょう」
「ん?ああ」
「じゃあ知っていますか?神田の好きな人」
「好きな人?いんの?!あのポニテに?それこそありえないと思うさ!!隠し事ができるほどキャパねえし」
「それもそうですね」
あっさりとアレンは頷いた。
猫にまでそういわれる神田が少し哀れな気もしたラビだが、どのみち神田がこの場にいるわけでもない。
いたらいたで、このボロアパートの神田の部屋の片隅で、異彩を放ったまま設置されている、神田家家宝の刀の錆
にされそうな発言はさっきから散々しているため、乱闘は必至だろうが。
抜刀しかける銃刀法違反の幼馴染をなだめるのは容易ではない。
もっともリナリーに言わせれば、ラビのそれはなだめているのではなく、火に油を注いでいるのだそうだが。
ふと思いついて付け足す。
「大切な人はいるっちゃいるけど、姉貴だしなあ」
家族は当然だが例外だ。幼馴染が例外であるのと同じに、どれほど大切でも、好きだと言う気持ちの種類が、根本
から別物だ。
付け足されたその言葉に、だがアレンは、ぴんと尻尾を立てて過剰に反応した。
「お姉さんいるんですか?!似てますか?!」
「美人。もろタイプ」
重々しく頷きながら、ラビは告げる。
「て、天国ですね!!」
じゅるり。
舌なめずりでも聞こえてきそうなアレンを見て、ラビは苦笑を送った。
「でも残念。ユウの姉貴はもう結婚してるんさ。アレン美人好きなん?」
「当たり前でしょう。ラビだってそうでしょう?美人の嫌いな男なんて地球上に存在しませんよ」
至極当然の事実を、やはり当然のようにアレンは答えた。
その認識に間違いはない。あるとすれば、それを子猫が語ることくらいだろう。
ラビは苦笑のまま応じた。
なんとなく、この猫の考えがわかってきたからだ。
つまりこの猫は単純に、神田のファンなどではない。
遠くから見つめて、自分に向けられるものではない仕草や視線に、黄色い悲鳴を上げるだけの、ただのファンなどで
はない。
「まあ、そりゃな。つかさ、神田の好きな人が気になるってことはさ、アレン、神田好きなん?」
アレンは一瞬言葉に詰まったようだった。
それまでの会話では即答が多かったこの猫にしては不自然なくらいの、一瞬の間。
それだけで答えはわかってしまった。
子猫の見抜かれたことを察したのだろう。次の一瞬にはあっさりと認めてきた。
「・・・・お察しの通りです」
猫の答えは予想通りのものだった。やはりこの猫が神田に向ける視線は、ただ見つめるだけで満足のきく、憧憬で
はなく、もっと直接的な気持ちだった。
人間の間でそれは恋といい、愛という。
「猫なのに?」
猫の答えを聞いて、即座に出てきたのはそんな質問だ。
その質問は、重要なことでもあったし、もしかしたらそうではなかったのかもしれなかった。
猫と人間の気持ちが重なるなんてことが、本気であると思っているのだろうかと思うのと同時に、そういう可能性が本
当に全くないと思っているのかと、自分にも問いかけるような気持ちで、ラビはアレンに問いかけていた。
猫は軽く毛を逆立てたようだ。
「失礼ですね!!例えば僕が、悪い魔法使いの魔法で猫になっていて、王子様のキスで王子様に戻る元人間の猫
だったらどうするつもりです?!」
ラビはそれを聞いてふきだした。
子猫があまりにも必死で、それなのに言っている言葉は、キャベツの中から赤ん坊が生まれると信じている子供のよ
うで、なぜだか切なく可愛かったからだ。
ラビが知識を得る代わりになくした純粋な幼さが、羨ましく切なかった。
子猫の世界では、人は猫にも恋をして、信じていれば結ばれる、そういうものなのかもしれなかった。
そうでないと知ったとき、この猫は絶望するのだろうか。
それともその頃には可愛い女の子の猫を連れて、すっかり神田への恋など忘れてしまっているのだろうか。
必死の叫びにふきだされて、なにやら不機嫌な表情を曝すアレンにラビは、わざと呆れたように告げる。
「アレンー、王子様のキスで王子様に戻るって、それ、サムイだろ。やっぱそこは姫じゃないとヤル気になんないって」
「うう。やっぱダメですか。でも神田にキスしてもらえるなら、僕、根性で人間に、姫になりますっ!!」
妙に人間じみた仕草で、握りこぶしまで作って力説するアレンにラビはぶはっ、とさらにふきだした。
「どんな根性なんさ、それ」
ひとしきり笑ってから、問いかける。
「ま、しゃべる猫ってあたりで普通じゃないから、そんくらいのことあっても不思議はないかも知んないけどさ、例え
ば、って言っちゃってるあたりで違うんだろ?たとえ話としても3流さ」
「うう。まあそうですね」
猫は少ししょんぼりしながらも、素直に認めて見せた。
その顔が少し俯く。
それがかわいそうで、撫でてやろうと延ばしたラビの手が、触れる一瞬前に。
気配を察してというわけでもないだろうが、アレンは俯いたまま低く呟いた。
「でも」
声は続く。
「例えば呪いが本当にあったとしたら、」
「アレン?」
ラビも声を潜めて問いかける。
猫がゆっくりと視線を上げる。静かな表情だ。さっきまであれだけこの猫の顔に溢れていた感情が、今はどこにも見
当たらない。
銀色に煌く不思議な瞳がラビを真っ直ぐに見詰めていた。
「呪いを受けた人間は、呪いの呪文もからくりも、絶対に口に出してはいけない。禁を破れば即座に命は絶たれる、と
か」
「・・・・おい」
少しだけアレンは笑ったようだった。唇だけが歪むように笑みを形作る。
さっきまで子供のようだと思ったのに。子供らしくない表情が、ただ真っ直ぐにラビに向けられていた。
「そういうの、童話や御伽話にはありがちな展開だとは思いませんか?」
「・・・・」
ラビが眉を寄せる。
さっきとはまるで別人のようになってしまった猫から視線を逸らすことができない。
猫は一度息をついて、それから、人懐っこい笑顔を浮かべて見せた。
声だけが淡々と続く。
「たとえ話ですよ、ラビ。僕は神田にキスしても、猫のままでした。だから神田にキスしてもらっても、きっと猫のままで
す。僕はどんなに望んでも、人間にも姫にもなれません」
無邪気にも見える笑みに似合わない、諦観をこめた言葉に、ラビはいつのまにかかさかさに乾いた喉から声を絞り出
した。
「・・・・ユウちゃんにキスしたんか?」
「ええ。昨日。でも、ほっぺにですよ?」
にっこ、と笑った猫が答える。その声も、表情も、もう元の子供らしさを取り戻している。
無邪気な悪戯を白状するような声に、ラビも笑みを浮かべた。
誤魔化されたわけではないが、このまま誤魔化されておかなければいけない気がする。
何かを問いかけてはいけない気がする。
問いかけるとして、何を問うべきかさえわからないのだ。
「怒っただろ」
「それなりに」
悪びれず、アレン。
「ユウ、あれで生粋の日本男児だから、そういうのは苦手なんさ」
「でも、好きな人がいたらきっとキスくらいするでしょう?」
結局話題はそこに戻るらしかった。
ラビは溜息をつく。いつの間にか、子猫の気配に呑まれていたことに気づいたからだ。
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