あなたの声は
縋りついた。
みっともなくても構わなかった。どうせ格好が悪いのは昔からで、専属の家庭教師に言わせれば、絶対にヒーローに
なれない男、ことオレなんだから、さんざ涙で濡れたべたべたな顔とか、みっともなく転がった姿とか、見られまくって いるし、隠したって仕方がない。
隠す気もない。隠せないだろう、多分。
オレを殴る拳も覚悟していた。
うっとうしい、といって殴られたことは数知れず、だから拳でどつかれたってかまやしない。
だがヒバリさんはあきれたような溜息の後、言ったんだ。
「・・・・で?僕は君を殴ればいいの」
声は質問だ。
低くて、艶のある、大好きな声だ。
「それとも、」
彼の声は続く。
オレを撥ねつけるでもなく受け入れるわけでもなく、ただ、滑り落ちるようになめらかに、彼は語る。
「君はキスでもして欲しいの」
思っても見なかった選択肢だ。
ヒバリさんがそんなことを言うなんて。
絶対に困ったような拗ねたようなそれでいて少し赤い目元を曝して、きりきりと吊り上がった瞳で・・・・、不本意そうな
顔をしているんだろう。
うん。オレはやっぱりこの人が好きだ。
思い切って言ってみた。
きっと今度こそ殴られるけど、それこそ構わなかった。
「キスして欲しいです」
溜息が密着した体から響いてくる。
「沢田綱吉、」
この人の声で呼ばれる名前は心地いい。
魂が呼ばれたみたいに、胸が痛むほどに、心地いい。
「はい」
「馬鹿だね」
ゆっくりと言い聞かせるような声だ。
「は、」
い、とオレは頷こうとした。馬鹿なのも昔からで、隠したって仕方がなくて、この人にはなんだってかんだって全部ば
れてるんだから仕方がないのだ。
キ、ス。
理解したのは一瞬後で、舌先の動きを追えなくて与えられる熱に喘ぐばかりで、だってオレは。
この人とこんなキスをしたことがなかった。こんなしつこい、キス。
どっかがおかしくなりそうな、キス。何もかも解け出て、どうにかなってしまいそうだ。
感情も理性も気持ちのいいことには逆らえない。
頭の中が真っ白で、視界も白く染まり始めて、白いのはきっと熱の純度で、もうどうしようもない。
「ヒバ、」
ヒバリさん、とオレは名を呼びたかった。
声は音にならない。
「ん、はあ、っ」
おかしな吐息になるだけだ。熱すぎる。
「だってこんなんじゃ、君、泣けないだろう」
彼の声を苦しい呼吸の下で聞いた。
少しだけ、眼球は潤んだ。涙のひと粒は零れ落ちた。それだけだ。
見透かされている。でもそれだって特別なことじゃない。
特別なわけじゃない。この人はいつだってオレを見ている。
馬鹿なオレも、みっともないオレも、どうしようもないオレも、全部知っている。
「わかっちゃいましたか」
「どうせなら、さ。僕に殴りかかるくらいの気概をもちなよ」
その拳で、とヒバリさんはオレの手を握った。
小さな手、と呟くように言う。不機嫌の覗く真面目くさった声でだ。
「本気じゃない君なんて、返り討ちにするだけだけどね」
その代わり、君は声を出して泣けるだろう、とヒバリさんは言外に言うのだ。
僕に殴られたという口実で、たんこぶのひとつと青痣のひとつもこしらえれば、それだけで十分だ。
でもね、とヒバリさんは続けた。
「それじゃあ僕がつまらない」
僕がつまらないよ、沢田綱吉。
口元をへの字にまげて、不機嫌な子供そのものの表情でヒバリさんは言うんだ。
「じゃあどうしたらあなたは、つまらなくなくなるんですか」
そうだな、とヒバリさんは視線をめぐらせる。
僕は、と少しだけ声のトーンを落としてヒバリさんは続けた。
「最近の君を見ていると少しだけイライラする。中学生時代の君はいつも泣いたり笑ったり、走ったり転んだり。もっと
忙しい子だった。理由なんかなくても、簡単に泣いて簡単に笑ってた」
「それは子供だったからですよ。今は、だってもう」
「そんなの関係ない。泣かない君なんて、泣けない君なんて、僕はどうにも面白くないんだ」
この人にキスされると、この人の声を聞くと、傷ついた心が癒されてしまうから、いけない。
熱を追い求めてしまうから、なおさら性質が悪い。幸せだと思えてしまうから、全て悪いのだ。
忘れてしまう。忘れないと決めて、でも気持ちいいことを追いかけてしまって、どこまでも体も心も正直だ。
「ヒバリさんのキスが気持ちいいから、いけないです」
心で思うのとは全く逆さまのことをオレは言った。
ヒバリさんのせいだなんて思っていない。受け止めるオレの問題だ。
ヒバリさんは笑った。
「溺れてしまえ」
ヒバリさんは言った。ひどい人。だけど、優しい人だ。
|