血よりも濃いものがあるのだとするならば、それはなんだというのだろう。
これが恋ではないというのなら、君はこれをなんと呼ぶのだろう。
快楽を越えるものがあるとすれば、それは、なにに似ているのだろう。
曖昧なものは思うより多い。
世界はどこまでも曖昧で、純度だけが高く、その分だけ不純物も多い。
僕の見上げる空は、限りなく、グレイだ。


GLAY




前提としての条件がふたつある。
一つは、僕がここに来るのはたいした用があるわけでもないときだ。
本当に必要なときほど僕はここに近づかない。
もう一つ。
僕は君しかいないときを狙ってこの扉を叩く。
君はそれに気付いているのかいないのか。
僕のノックの音に、室内の君の気配がわずかに動いたのを知覚する。
君の周りにはべる、気配を消すことに長けた油断のならない面々は、こちらの狙い通りにいないらしい。
君だって、気配を消すことはだいぶ、そう、出会ったばかりの頃に比べたら、うまくなったのには違いない。
それでも僕には君の気配がまだ読み取れるし、それは他の守護者たちも同じなのかもしれなかった。
君は君を感じることで安心感を覚えられる面々にだけは、わざと気配を残しているようにさえ感じる瞬間があるから
だ。
それも、超直感の賜物だろうかと、僕は唇に皮肉な笑みを刻んだ。
僕は君個人はどうでも、マフィアなど大嫌いだし、君の気配に安心を覚える意味なんてどこにもない。扉を押し開け
る。
君の執務室は広い。設置された応接セットの向こうに大きなマホガニーの執務机がある。その向こうに青空が広が
り、君は机に向かって、積まれた書類に判を押している、いつもどおりの光景を僕は想像していた。
青空までは、想像通りだ。問題ない。君は机に向かっている。ノックしたのが僕だということも、君は気付いていただ
ろう。そこも予想通り。
机には書類の山、それもいつもの光景と変わらない。
ただ一つ、いつもと違う君の状態に、僕はあえて視線を逸らせた。
淡々と、用件を告げる。それは僕が思うよりも冷えた声に化けて喉から滑り降りた。
「僕の労災認定の書類、用意してくれました?」
君は嫌そうにちらりと僕を見る。間抜け面だ。それもいつもとそう変わるものでもない。ただ一つの点を除けば。
右手の親指と人差し指で鼻をつまんだまま、君は答えてきた。
「・・・・ひゅるわけないひゃん」
君は青空を背にして、書類に判を押してなどいなかった。
椅子に座ったまま体は横を向いて、顔はやや上向きだ。そのまま、鼻を摘んでいる。
事態はすぐに知れた。机に近づくと、わずかに血液に汚された書類と、君の左手が握るのは同じく血液の付着したテ
ィッシュ、よく見れば鼻の下にも、拭き取った血痕の残滓。
僕は君を呆れた視線で眺めた。首をわずかに傾げる。
あえて君の状態には触れずに告げた。
「・・・・ボンゴレ。しゃべり方が犬のようですよ。犬よりもう少しおバカかもしれません」
君は僕に向き直った。
手を鼻から離して、八つ当たりのように言ってくる。
「余計なお世話だよ!!仕方ないだろ?!あ、」
とろ、と鼻の奥を血液が滑り落ちる感触にだろう、君は顔を顰めた。脊椎反射でもう一度鼻を摘もうと伸ばされる手
を、僕は君に接近し、手を伸ばすことで遮った。
そのまま、ひょい、と君の鼻を、さっき君がしていたように摘み上げる。
その行動に驚いてか、目を白黒させる君の顔を覗き込んで、にっこりと言いかけた。
「血が出ているということは、それなりに大ごとで、怪我には違いないというのに、鼻から出ているものだけは間抜け
に見えるのは何故なんでしょうねえ」
ぐ、と力を入れて摘むと、面白いくらいに痛そうに君の顔が歪んだ。途端に僕は楽しくなってきた。
こんなに愉快なおもちゃを僕は他に知らない。
怒ったのだろう、顔を赤くして君は僕の手を振り払った。
「うるさいな!!お前こそ、頭に十円ハゲ作って、それで労災認定しろっておかしいだろ!!」」
「円形脱毛症といいなさい!!僕は見た目どおりに繊細なんです。水の中に何年も浸かっていると、こういうことだっ
てあります!!」
誰の見た目が繊細なんだとか、自業自得で特殊な環境下にいたせいだろとか、色々と言いたいことはあったようだ
が、君は結局口に出してこなかった。
口に出されなくても、瞳は雄弁にそれを語ってはいたから、きっと内心でつっこむにとどめたのだろう。
君からの反論がなかったから、僕は少しつまらなかった。何か言ってくれるなら、これ以上ないほど引っ掻き回してや
るというのに。
無駄に学習能力を身に着けてきた最近の君は、こういうときつまらない。
僕は少し思案しながら口元に手を当てて、それから君の執務机に視線を滑らせた。
「君こそ、・・・・ああ、わかりました。理由はいわなくて構いません。ベタすぎる理由ですね」
執務机にはホットチョコレート。鼻血の原因と思しきもの。
視線を止める僕に、君は今更の言い訳のようにあわてて言ってきた。
「いつもはこんなことないんだ。甘くておいしいしさ!今日はちょっと体調も悪かったから、」
ストレスで、鼻血が出ることもあるという。
君に縁のなさそうだったものが、最近の君の周りには溢れている。それは僕にとって、落ち着かない要素の一つだ。
君はいつまでも間抜けで、おバカで、可愛くて、キレイで、どうしようもないほどにグレイな僕の中で、どうしようもない
ほど、青い輝きを放つ空であって欲しかった。
自覚したくもなかった願望を、目の前に突きつけられたような気分になるのは、こんな君を見たときだ。
僕は往生際悪く、やはりそれから目を逸らしてしまいたいと思うのに、君が青いだけの空にわずかなグレイを入り混
ぜていくのを、切ないと思うのだ。
ほんの、少しだけ。
僕は君から視線を逸らせて、血塗れた書類の一つを手に触れた。
書かれていることにそれほど興味があるわけでもないが、どれもがそれなりに重要機密事項であることくらいはわか
る。
「そうですか。それで、大事な書類を何枚か犠牲にした、と。アルコバレーノが怒るでしょうねえ」
「うっ。言うなよ!!リボーンのことは!!せっかく考えないようにしてるのに!!」
考えなくたって、数時間後、悪くすれば数十分後に事態はアルコバレーノに発覚するのだろうに。
そうすれば、軽いジャブ代わりの鉛弾くらいは放たれるのだろうから、いつものようにこのボスは慌てるのには違いな
かった。
ぽた、と零れ落ちそうになる紅を押し留めるように、ティッシュで拭き取った君の、その顔を、僕はもう一度覗き込ん
だ。
君が驚いて体を後ろに引くのに、僕は逆に前に傾けるようにして、君との隙間をわずかに埋める。
「まだ、とまりませんね」
手を伸ばして、僕は再び君の鼻をつまんだ。
さっき僕に強く鼻を摘まれたときの痛みを思い出したのだろう、君は少し警戒したようだった。が、今度は力をいれず
に優しく摘む僕に安心したのか、詰めていた息を吐き出したようだ。
さてどうしようかと、僕は思う。期待されているのなら、それなりのものを返さなくては、とも。
君をからかうのは楽しい。
この動作だって一度目とは違い、二度目の今は気遣うものだったといっていいのに、君に触れた途端、その目的が
質を変える。
君は目をぱちくりさせながら、静止したままの僕の手と顔を交互にうかがっている。
鼻がふさがれたせいで、唇だけではふはふと小さく呼吸する様子は、やはり小動物にしか見えなかった。
小動物好きなあの男が愛でたくなるはずだと、妙なところで納得する。
あの男と同じ理由だなどとは思いたくもないが、やはり僕はどんな形であれ、君を愛でたくなるらしかった。
ここにきた理由。労災認定。
そんなものは口実で、君を思う様からかって、僕なりに僕を充電したかったからだ。
静止した僕が、クフクハと密かな笑いを漏らしたことが気味悪かったのだろう、君は困ったような顔で言ってきた。
「骸ー、離せよ、多分そろそろもう止まってるし!お前そんなことしに来たんじゃないだろ?!」
「では、なにをしにきたのだと思いますか」
僕は、おそらくは優しく見えているはずの笑顔で囁くように問いかける。
吐息の触れ合う距離でのそれに、君は頬を上気させた。困りきったように少しだけ目を逸らして、こてんと、首を傾げ
て問いかけてくる。
「・・・・労災認定?」
ああ。バカだ。本物だ、生え抜きだ。選りすぐられている。
超直感なんて、天は何故、それを最大限にどころか、最小限にさえ生かせない君にそれを与えたのだろう。
生かせない能力とわかっているからこその、采配か。
僕は心の底からあきれ返った。だが、それが嬉しくもあり、楽しくもある。なにより、君らしいと思うからだ。
極力どちらの感情も表に出さないようにして、僕は少し苦笑するようにした。
「そういうことでも、いいですけどね」
多分君は、言葉の裏側や気持ちの二面性を考えてみたりはしないんだろう。
驚くほど純粋に、人を信じる。
本当はそんなもの幻術一つでなんとでもなるのだと、言えば君は理解できるだろうか。もしかすれば、円形脱毛症と
見せられたそれこそが幻術である可能性さえ、考えても見ないのか。
それでも君は、一番に知られたくないことだけは、いつだって見抜くのだ。どうしようもなく、普段は鈍いくせに。
だから、たいした用がないときにしか君の前には行けない。本当に問題を抱えたときには、君を避けるしか手段がな
い。
疎ましくて、そのぶん愛しい。
そんな気持ちは表裏一体だ。遠ざけたいと、顔も見たくないと思う気持ちとは裏腹に、君に会いたくてたまらない。
説明なんて多分つかない。名前なんて、つける気もない。
「どうせ君、認定してくれる気、ないんでしょう。これだからマフィアは」
これ見よがしに溜息なんてついてみせると、君はやはり困ったような顔をした。
多分罪悪感なんてものを感じているのだ、君は。
それから割り切ったように言ってくる。
「マフィアだから!!労災保険なんて加入してないんだよ!!」
保障もないのに仕事は命がけなんて、本当にやってられない。
君が好きなのに、伝わらないなんて、本当に。
僕は唐突に君の唇を、塞いでしまいたくてたまらなくなった。欲望に逆らわず、顔を寄せる。
その瞬間を狙ったように、僕の背中を冷えた殺気が撫でた。
後ろに気配。いつの間にか部屋のドアが開いている。僕に気づかせないほどの侵入者となると、それは限られてく
る。
そのうえこの状況に殺気を放つとなれば、1人しか思い当たらない。
「・・・・ねえ。なにやってるの」
声はやはり、予想通りの人間のものだった。
「ヒ、ヒバリさん?!」
驚きに裏返った声で君が侵入者の名を呼んだ。僕も仕方なく君から顔を離すと、振り返って言いかけた。
「おや。久しぶりですね。雲雀恭弥」
「・・・・綱吉」
僕を見て眉を寄せた彼は、なんなの、と君にだけ説明を求める。
「鼻血でちゃって、」
君は話をしながらそれでも懸命に、口でだけ呼吸する。鼻はひくひく動くが僕がつまんだまま。息が苦しいのだろう。
口が忙しなく酸素を取り入れようと動いている。
僕はにっこりと笑った。
ここにいる、約一名の苦しそうな顔と、約一名の不機嫌そうな顔を、瞬時に僕に向かわせる手段を思いついたから
だ。
それは先ほどの欲望と同じものでもある。状況が変わったせいで、方向性は大きく変わったが。
かぷ、と。
僕は君の唇に噛み付いた。鼻はつまんだままだ。
驚きに目を見開いた君の視線を受け止めて、僕は目元で笑って見せた。舌先を性急に絡めていく。
そのまま時間が止まるような。雲雀恭弥の視線が突き刺さるが、かまうものか。それが殺気であったとしても。
そのまま静止していると、息苦しさに君はどんどんと胸を叩いてきた。少し痙攣してさえいる。
僕は君が、軽い臨界点を超えたあたりを見計らって離すつもりだったけれど。
邪魔が入った。
雲雀恭弥が黙っているはずもない。
「不快なもの見せないでくれる!!君は咬み殺す!!」
キン、といつもの獲物が、彼の腕に構えられている。
僕は唇と鼻を摘んだ手を離した途端に、咳き込んで呼吸をしながら脱力した君の体を腕に収めたまま、いつもの獲物
を手の中に出現させた。
「不快なもの、という点では綱吉君もそれに含まれているのですか?なのに何故僕だけ?」
がきっと音をさせて、僕たちは武器を頭上で組み合わせた。
雲雀恭弥は僕を睨んで、それから僕の唇を見た。
そうか。君も彼を。小動物を愛でる、それ以上の意味で。
不機嫌に目を眇めた彼が、僕に顔を近づける。
睨みあう。彼の、あいた手は僕の胸倉を掴みあげて、互いに交わすのはすさまじい殺気だ。
噛ぶりつく獣のように、触れ合わされたのは、ほんの一瞬で、すぐにかみ合った武器を離して、彼も僕も反射的に後
ろに飛ぶ。
「っえ、ヒ、ヒ、ヒバリさん?!む、骸?!」
だから、いまだ収まっていた腕の中で、君の驚いたような声が上がってからだ。
この僕が、その事態に、気づいたのは。
唇に、触れた。何か。柔らかい。唇。雲雀恭弥。
僕は呆然と呟いた。
「雲雀恭弥、」
君は、今、なにを。
「うるさい。君が綱吉に触れるから、触れた分を奪い返しただけだ」
雲雀恭弥は僕を睨んでいる。彼の瞳の嫉妬はきっと本物だ。
君は僕の腕から逃げるのも忘れて、ヒバリさん、と大きな瞳を見開いたまま呆然としていた。
君はまだ、彼が、僕が、どうしようもないほど君が好きだと言う事実を知らない。
雲雀恭弥は僕の腕で立ち尽くす、君の腕を引いた。君は、ヒバリさん、ともう一度言いかけた。
それは意味のない呼びかけには違いなかった。
僕は君を見て、それから雲雀恭弥を見た。
雲雀恭弥からは、殺気。僕も彼に浴びせかけるのは、殺気。
君に向ける気持ちだけは揃って同じだというのに、僕らはいつもいがみ合う。
気に入らないのは、多分お互い様だ。
人類の中で、たった一人の君しか眼中に入れていないのは、僕も彼も同じだろう。
「・・・・」
雲雀恭弥。その唇に目がいった。
少女のようなものでさえない。紅いわけでもなく、ただ形のいい。
それを睨んで、僕は目を眇める。
「ス、ストップ!!駄目です!!ヒバリさんも骸も、ここで暴れるのはやめてください」
一触即発の空気を感じ取ってか、君が僕と彼の間に立ち塞がるようにして手を広げた。
幼くみえる眉根を歪めて、それでも以前は、逃げるだけならともかく、僕らの間に割ってはいることなどできなかったは
ずだから、家庭教師の教育は成功したのだろう。
君の片腕はいまだ雲雀恭弥に掴まれたままだ。
雲雀恭弥はそれを離さない。母親に縋る駄々っ子のようだと揶揄したなら、容赦なく鉄の棒が飛んでくるだろうが。
君の必死に引き結ばれた唇をちらりと見る。
君の唇はもうとっくに乾いていた。キスをしてからそこが乾くまでの時間で僕は、彼と。
無意識に、彼の唇に視線がいった。
彼の唇が濡れているのは、彼自身の唾液か、僕の唾液か。
不愉快でどうでもいいことを考える。
僕は軽く嘆息した。
雲雀恭弥も、割って入る君を見て、とっくに戦意は喪失したようだった。
彼は君の唇を見ていた。
隙あらば口直しにと、奪おうと思っているには違いなかった。僕がそう思っているのと同じように。
くだらないと、僕は思った。くだらないが、素晴らしい。君がここにいるから、全てが素晴らしい。
苦笑した。
思い出して言いかける。
「そういえばボンゴレ、鼻血、止まったみたいですね」
「え?あ!本当だ!!」
指摘されるまで、目の前で繰り広げられるあまりの事態にすっかり忘れていたらしい君は、気づいて嬉しげに笑った。
君が笑うと少しだけくすぐったい。そんな自分に向けるように僕はもう一度苦笑する。
窓の外、空を見上げてみた。
それは青い。朝もそうだった。僕が君の部屋のドアを開けたときも君の背に広がるのは青空だった。
深夜までは晴天だという天気予報は外れないのに違いない。
グレイではなく、空はまだ青い。
君を包む空は青い。彼を包む空も青い。
僕は君に視線を戻した。
「ところで、ヒバリさんは何の用でこちらに?」
はにかむ君に気をよくしたらしい彼は、それでもそうと素直に態度に出せない難儀な性格らしい。
視線を逸らして不機嫌そうに、全く照れて拗ねた子供そのものの態度で、何か取り出した。僕は口を開く。
「雲雀恭弥は、君に会いたかったんですよ」
彼がここに来るための口実らしい書類を君に渡す前に。僕は先回りした。彼が言わないであろう本心を、君の耳へと
注ぎ込む。
君に会いたくて。
それは僕の本心でもあるのだから、言葉にするなら容易い。簡潔で明瞭で、もっともらしい理由を並べ立てる必要性
が吹き飛ぶほどには、いっそ清々しい。
君は目を見開いた。本日何度目だろう。
僕はしてやったり、と笑みを浮かべた。会心の笑みだ。
「骸?」
「余計なこと言わないでくれる」
僕を睨む瞳。隠すことなく殺気を叩きつけてくるそれは、雲雀恭弥。
視線の色。仄昏い、それは。
きっと僕と同じ色をしている。
彼を僕と同じグレイに、あるいは僕よりも深い黒に、染め上げることは案外簡単なことかもしれなかった。
そんなことはほかならぬ君が許さないのだろうが、そんな君だって、いつまで輝く青の色彩を保っていられるのだろ
う。
僕の好きな君の青は、いつまで濁らずにいられるのだろう。
僕や彼がそれを許さなくても、どこか目に見えないところで、取り返しのつかない速度で、常に事態は動いているもの
だ。
跳ね返す意志の力が、どれだけ持続するのかなんて、考えて見る気にはなれない。
僕はクフフと一頻り笑ってから、君の手を取った。
雲雀恭弥の触れていないほうの腕を。ゆるく握って、それから指先を食むように口づけて離す。
「ねえ、綱吉君。僕は君や、雲雀恭弥でさえ、気に入っているんだと思いますよ」
綱吉君、と僕は呼んだ。こういう時僕は絶対に君をボンゴレとは呼ばない。
君個人に言葉を向ける意図があるときだからだ。君も超直感でか、それを正しく理解しているのには違いなかった。
僕の視線が少し優しくなるのもこういうときだ。君の視線が寂しげに揺れるのも。
左胸が疼く。僕の中にも優しさだとか人の心だとか、心臓だとか。そんなものが確かにつまっているのだろうと自覚す
ることは、思うよりは痛みを伴わない。
疼くだけだと、君に会って僕は初めて理解した。
「気持ち悪いこと、いわないでくれる。なに勝手に綱吉を口説いているのさ」
彼が食って掛かったが、僕はもう取り合わなかった。
彼とじゃれるのも今日のところはもう終わりだ。
彼のほうでももう、取り返すといってさっきのように、君の指先に触れた僕の唇に、また触れる気はないのだろう。
それなら用は終わりだ。僕の方にはもうなにもない。
もともとたいした用件ではなかったのだから当然だ。
「さて、僕はそろそろお暇しますよ。邪魔も入ったことですしね。綱吉君のお怒りを買うのはごめんです」
君に、彼に、背を向ける。背を向けた後ろで、君が動く気配がした。
「骸、また、」
遊びに来いとでも、君は続けるつもりなのだろう。
君は遊ぶほどに暇ではなく、僕は遊ぶほどには幼くはなく。
ここは遊びに来るような場所ではないというのに、このボスは僕をただの友人のように扱いたがる。
無害なだけの存在に成り下がるつもりはないのに、僕は自然と頷きを返していた。
「ええ。また近いうちに」
君が青を保てているか確認するためだけに。
からかうためだけに。
あわよくば、唇を掠め取るためだけに。
そんな楽しみはいずれ僕を破綻させるのかもしれなかったが。
君ほど愉快なおもちゃを、僕は他に知らない。





結局僕らは、共に堕ちる運命なのかもしれなかった。
青からグレイ、そして黒に。
それは絶望によく似た快楽の色だ。
それでもそんなものに染まる君を、彼を、僕は何故だか、見たくないと思った。





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サイト開設4周年記念のお祝いに藤代様に捧げさせていただいたらと思いま・・・・っ!!
ムクヒバに挑戦したつもりでした。
気がついたらただのツナサンドでした。
残念な実験結果に終わりました。
しかもイマイチ、ギャグにもシリアスにもなりきれてな・・・・っ!!
返品、破棄可です。