きみは永遠に、僕の中に焔を燃やし続けるのだろうと、その時にこそ、気づいた。
CRIMSON SKY
君が焔のようであったなどと、実は僕は、告白するとしたら、もう出会った瞬間にはそう思っていた。
ただ、伝える機会がなかっただけだ。
あえて僕も君に伝えようとはしなかった。
自分でもその印象の意味が理解できなかったからだ。
出会ったころのきみは、時々強いのにいつもはてんで弱くて、同世代の少年たちと比べて体も小さく、まるで小動物
そのものだった。
牙を剥き出しにするのはいつだって最後で、自分ではなく、他者が傷ついたときだ。
それ以外でなら人一倍危機にだけは敏感で、逃げたり隠れたり、時にはずるをしたりもする、どこにでもいる草食動
物だった。
そんな君に時折焔の印象を受けることすら僕には理解できなくて、それこそが錯覚だと思ったりもした。
だから、試すように半ば本気で攻撃をしてみたことも、幾度か。
そういうときに限ってきみは一切の焔を僕に感じさせず、僕は人知れず苛立ったりもした。
確かめようと思えば、消えている。消えているものだと侮れば、それは勢いよく燃え盛っている。
そういう意味でもきみは僕にとって興味を引かれてやまない存在だった。
焔の気配を隠しようもないほど強く感じるようになったのは、僕にとって本当に最近のことだ。
なんてことのない瞬間にこそ、君は強くそんな気配を漂わせている。
「ヒバリさん眠いです」
なんていいながら、僕の背中にのしかかってくるとき、とか。
「きみ、どこから湧いたの」
ふり払いはせずに僕は言った。振り向きはしない。背中越しの体温が心地いい。
「ヒバリさんが帰ってきてるって、哲さんに聞いたんです」
君が笑った気配がした。ついでにあくびもしたみたいだ。
「オレ、眠いんです。ヒバリさん」
思い出したようにきみは繰り返した。
「・・・・それなら寝りゃあいいじゃない」
かなり嫌々振りむく僕の頬に唇を押し当てて。きみは笑みを浮かべた。
幼い表情だ。嬉しそうに告げてくる。
「奪っちゃいました」
「・・・・君、バカじゃないの」
ふにゃんと笑った君に、僕は呆れた視線を送った。
でも、そんなときにこそ感じる気配は焔そのもの。
僕は君を背中に貼り付けたまま研究施設の廊下を進む。
「ヒバリさんヒバリさん」
「なに」
人の名前を安売りみたいに連呼しないでくれる、と僕が振り向けば。
「オレ、変わったと思いますか」
きみは寝ぼけ眼に神妙な顔で、そんなことを言う。
そのアンバランスな表情に、僕は溜息さえ出ない。
20を過ぎても幼い顔立ちに、似合わない表情を君は最近よく浮かべる。
そういう状況と立場を君が背負っていることを僕も知っている。
大抵、君が僕のところに来るときは、なにか問題を抱えているときだ。
出会った当初は、笑顔や怯えた顔ばかり見せていた君の表情からは少年らしい甘さがいつしか消え、嘘も本当も透
かし見える、透明に澄んだ笑顔を見せるようになった。
そんな感情の透けた笑顔なんか、鎧にもなりゃあしないじゃない、といつだったか、僕は毒づいたことがある。
ヒバリさんだけです、ヒバリさんにだけ、本当のオレを。
きみはそういってやはり笑っていた。
僕は口を開いた。何か苦々しいものを吐き出すように告げる。
「僕は気休めなんか言わない。君の取り巻きみたいに、君に優しく、君の欲しい言葉だけをあげるなんてしないよ」
こくり、ときみは首を傾けるようにして頷いた。
きみは本当にことを聞きたいときに僕を求めるのだから、そのくらいは承知しているだろう。
だからこそ僕のところに来るのには違いなかった。
君の瞳が、ガラス玉のように煌いて僕を映している。
そこには縋るような色もなく、求めるような色もない。なにものにも染まらず、その全てに染まる大空の色彩そのもの
のように、ただそこにあるものを映すためだけにある澄んだ器だ。
僕は染める意図も、染まる意図もないまま囁きかける。僕の目から見える真実だけを。
「君は変わったと思うよ。それを経て、どこにたどり着くかは君次第だろうけど」
どこに行けなんて、指し示してやるほど優しくはないし、どれが正しい道なのかなんて僕にだってわからない。
正しいか正しくないかなんて重要なわけでもないから、結局は君が数ある選択肢の中から、何を選び取るかのほうが
君にとっては問題で、僕にとっては興味と好奇心の対象だ。
「別に君らしくなんて僕は言わないさ。変わらないで欲しいとも、言わない」
変わっていくものだ。人は誰も彼もが。
それでも、例えばどれほど君が変わり続けても、僕を退屈させないだろうことはわかりきっていたし、それこそありえ
ないが、全く変わらなかったとしても、それは同じことだろうから、僕にとってはどうでもよかった。
ただ、出会った最初と変わったかと聞かれれば、君は変わった。
こんなに強い焔を思わせる人間ではなかったはずだ。強さの内側にある脆さを連想させる人間ではなかったはずだ。
昔はもっと、弱さの裏の強さのほうが存在を放っていたようにさえ思う。
僕は首を振った。
そんなことさえどうでもいいんだと思い直す。
強さの内側に抱くものが何であっても、僕は君が。
「ヒバリさんは変わんないですよね。オレはあなたが少しだけ羨ましかった」
「過去形?」
「はい。過去形です」
きみは目を伏せるようにした。
「憧れるのは自分がその人にはなれないとわかっているからです。その人本人であれば、他の苦しみがあって、自
分の全てに憧れることなんてできないでしょう?」
きみは淡々と告げて、言葉の最後ににこりと笑った。
伏せられていた瞳が開かれ、色素の薄い瞳が僕の眼前に再び現れる。
息を呑んだ。
君が寂しいみたいな決然とした瞳をするときは、もう何かを決定付けてしまったときで、僕のところに抱えてきたであ
ろう問題は君の中で済みの判が押された後だ。
いつだってきみは何一つ僕には零すことなく、何気ない会話の合間に全てを決めてしまうらしかった。
そういう強さは昔はなかった。
時折僕は君のそれを疎ましく思う。同時に強く惹かれる。
その瞳の色こそが君の焔を宿しているようにこそ、思う。
僕は何のためか渇く口の中を、君に悟らせないように軽く咳払って、できるだけ淡々と聞こえるよう低い声音で言っ
た。
「僕は君に憧れたりはしないけど」
それは、本当で、けれど嘘だ。憧れはしない分、強く惹かれている。
「ヒバリさんはヒバリさんです」
目を細めてきみは笑ったままだ。
「だけど君を眩しいと感じるときが、時々あるよ」
君は一瞬だけ目を見開いて、それでもやはり笑っていた。
眠いのだろう、その表情はさっきよりさらに幼い。
いつからか、元気いっぱいの眩しい笑顔ではなく、静かに優しく微笑むようになった君を、僕はやはり眩しく感じる。
勢いを増す君の焔が、輝きを僕の目に、これ以上ないほどに強く、焼き付けるからかもしれなかった。
いつからきみはこんなにも強く、こんなにも弱く、そして僕のこんなにも近く、こんなにも遠くに位置するようになったの
だろう。
過ぎた時間の重みを切ないと思うほどには君も僕も老いてはいないはずでも。
感傷を振り切り前に進みながらも、振り向く一瞬がないといったらそれは嘘だ。
僕は前を向いて黙って足を前へ運ぶ。
きみは相変わらず背中に張り付いたままだ。
少しだけ重みが増したのは、君の意識が眠りに落ちたからだろう。
僕は溜息というわけでもなく、ゆるく息をついた。
立ち止まる。
君を見ていると時々、この存在はなんなのか、というずっと胸にある設問が何の前触れもなく浮かび上がってくる瞬
間があった。
君が僕の中で何であるのか、というのは、僕にとっては珍しく、いまだに答えを出せていない設問の一つだ。
僕の中にいつからそんな設問が生まれたのかは、僕自身にもわからない。
答えがすぐには出せない設問というのも、先の楽しみが増えるようでいいのかもしれないと思っていた。
だがこの設問には、永遠に答えが出ないのかもしれなかった。
出そうとどこかで割り切って、何らかの結論をこじつけたり押し込めたりしない限りは、永遠に出せない種類の答えと
いうものは確かにある。
面倒ごとが嫌いな僕が答えが出る前に飽きてどうでもよくなってしまうのなら、それはそれだけの話だ。
そう思いながらも、はっきりとした答えが見つからないのをいいことに、あえて答えを出すことを避けながら愉しんでい
た。
それでも今出してしまわなければ永遠に、この設問の答えの形は失われる、これはそういう種類の設問だと最近で
は理解している。
もし、今。たった今。
答えを出すのだとしたら。
きみは僕の中で。
君の寝息が耳元に熱く触れる。力の抜けた体がずるりと背中からずり落ちそうになるのを、僕は溜息とともに抱えあ
げた。
きみの意志はここから消え、瞳さえ閉じられている。だというのに。
眠る君にさえ、焔の気配。
それは君に帰属するものではなくて、もしかすると、僕の内側に君の焔が燃え移っただけのことなのかもしれなかっ
た。
そして君の焔が内側から僕を焦がすのだとしたら。
きみは永遠に、僕の中の消えない焔で在り続けるのだろうと、この時にこそ、覚悟ができた。
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