気づいたことがある。
最近、綱吉の手は、いつだって傷だらけだ。
新旧取り揃えて大小さまざまな傷の共通点は、全てが明らかな爪痕であるということだ。
長く細く線を引くような。


BLACK CAT LIFE





「ツナ、また傷増えてね?」
「ん、ああ、最近3日に1度はひっかかれてるしなー」
親友・山本の問いに、はあ、と溜息をつきながら綱吉は応じた。
最近では絆創膏を貼るのでさえ面倒なくらい傷も増え、そのほとんどをそのままにしている。
図書室で、獄寺の宿題を2人で写させてもらいながらも、夏服になったせいで目立つようになった腕の傷に山本の視
線は固定されていた。
「ヒバリか?最近傷、多くね?」
山本の記憶では、以前は冬服で目立たなかったから、ということを置いておくにしても、この親友に腕にこれほど多く
の傷はなかったように思う。
いつから多くなったのか、と思い出すに、それは自分と獄寺が綱吉の家を訪れてから、すぐ後のことであるように思え
るのだ。
密かに首を捻る山本の横で、獄寺が叫んでいた。
「あんのバカ猫っ!!」
綱吉のうちでの一件以来、すっかり相性の悪くってしまったらしいヒバリを、握りこぶしを握って非難した獄寺は、いつ
も以上に熱い。
「沢田さんにお怪我を負わせるなんざ、許せねぇっ!!果たしてきます!!」
「いやいやいやいや!!やめて獄寺くん!!いいから!!そもそも獄寺くん、ヒバリさんに勝てないだろうし!!」
綱吉の素直な一言に一瞬、う、と呻いた獄寺だが、彼の立ち直りは早かった。
即座に宣言する。
「いえ!!この獄寺隼人、今日という今日は沢田さんのために勝って見せます!!」
ではさっそくいってきます、と座っていた椅子から立ち上がりかけた獄寺を慌てて引きとめながら、綱吉は礼を言っ
た。
「本当にいいから!!ありがとう獄寺君」
「しかし沢田さん!!」
「そうだぞ、ツナ。躾はしっかりしとかないとな。なんならオレが、」
ヒバリさんに躾って絶対に無理だよ。
内心できっぱりとそう思った綱吉だが、あえて口には出さずに、山本にも礼を言う。
「山本もありがとう。でも、いいんだ。最初に比べたら、あんまり痛くないようにしてくれてるのわかるし、ヒバリさんの
暴力ってさ、なにか別の気持ちの裏返しであるようにも感じるんだよな」
それがなにかっていわれるとわかんないんだけど、と続けながら、綱吉は僅かに笑みを浮かべた。
「猫とかが引っかくのって、攻撃しようって言う意志よりは、人間を怖いって怯えてる場合が多いっていうだろ?まあヒ
バリさんに限ってそれはありえないけど」
はは、と笑いながら告げると、山本は少し考えるように首を傾げる。
沢田さんはお優しい、と感激する獄寺を横目に、低く呟いた。
「んー、意外と近いかもな?」
「山本?」
綱吉は意味が分からずきょとんと目を見開く。
「沢田さん!!もう休み時間終わっちまいますよ!!早く写してください!!おら、野球バカも早くしろ!!」
綱吉の何をどう気にいったのか、どうにも獄寺は、綱吉と山本に対する態度が大きく違う。
それでも意外に面倒見のいい性格なのか、山本のこともちゃんと無視せず声をかけてやったりしているが。
その友人の急かす声に、時間を確認した2人は、会話を中止して手のスピードを速めることに集中していった。





「よっ、ヒバリ」
「・・・・」
ヒバリは日に一度は巡回するように校内を一周する。
それを知っていて、そろそろ来るころかとあたりをつけた校内の廊下で、ヒバリが通るのを待ち伏せしていた山本は、
狙い通りに通りかかった黒猫を認めて声をかけた。
猫は鳴き声一つ上げずに、山本に視線をとめる。
足を止めて、不愉快そうにヒバリは山本を見上げた。
気安く呼ばないでくれる。僕に何か用なの。
その瞳がそう語っているような気がする。
そんな錯覚に山本は僅かに苦笑するようにした。
綱吉が言っていた、話しかければ通じているような気がするというのは、案外理解できるような気がしてきたからだ。
「お前さ、ツナが好きなのはわかっけど、怪我ばっかさせてたら嫌われるぞ」
「・・・・」
猫は何も語らない。当然だがそれが奇妙なことであるように山本には思えた。
この不思議な猫だからかもしれない。
今にも何かを話し出しそうに見えるのだ。猫の瞳が、逸らされないせいかもしれない。
少なくとも、こちらの言うことは聞いているのだろうし、理解はできているのだろう、そんな妙な確信が山本にはあっ
た。
猫の、琥珀の瞳が僅かに眇められる。
そんなこと余計なお世話だよ。だいたい何で僕があの子が好きなのさ。
実際肉声が聞こえるわけでもないというのに、瞳だけで意志を語っているような猫を見据えて、山本は溜息をついた。
「オレはツナが好きだし、大事だ。だからかな。お前の気持ちもわかっちまうんだよな」
猫は黙って山本を見上げている。
「あの傷ってさ、独占欲の表れじゃねぇの?ツナはオレのもんだから手ェ出すなって、オレらに言ってんだろ?」
ツナが自分以外に興味を持って離れていくことに怯えて怖がっているんじゃねぇかとかさ、そうも思えるんだよな、と
続けると。
バカじゃないの、君。
猫の瞳に明らかな侮蔑がよぎる。
琥珀に見えた黒猫の瞳が、金色に煌いていた。
「ま、そうじゃねぇってんなら、そんでもいいぜ。でも怪我はあんまりさせないでやってくれよな」
痛いのかわいそうじゃん?な?
山本は笑って、去り際にぽんぽんと、ヒバリのその頭を撫で付けた。
山本が当然あるものと予想していた反撃もなく、ヒバリは鋭い視線のまま、その場に静止している。
それをほんの一瞬だけ見つめて、ひらひらと肩越しに手を振ると、山本はその場を後にした。





「・・・・バカじゃないの」
誰もいなくなった廊下で、ヒバリの漏らした呟きを、風がゆっくりと攫っていった。





宿題を前に、ああでもないこうでもないと唸りながらも、どうやら宿題が終わるまではお預けとの自分ルールを敷いた
手前部屋の隅においてあるらしい、新作ゲームにちらちらと目をやる。
家に帰ってから綱吉はずっとその状態だ。鬱陶しいことこのうえない。
ヒバリはそんな綱吉を眺めて、僅かに逡巡するようにしてから言いかけた。
「君さ、」
「なんですか?」
「・・・・君さ、それ、痛い?」
ヒバリは自分がつけたもっとも新しい傷を示して問う。
驚いたのは綱吉だ。
「ええええ!!あ、明日って雨ですかね?!蒼い槍とか、赤い雨とか、黄色い悪魔とか降りますかね?!」
つまり言いたいのは、青天の霹靂、もっと具体的に言うならヒバリさんが人の心配をするなんて!!ということだろう。
正しく解釈したヒバリが僅かに不機嫌そうに顔を歪める。
「さっさと僕の質問に答えなよ」
自分でもらしくないとの自覚はあったのか、失礼な反応に対する制裁はなかった。
いつもなら一撃は食らっているはずだ。
身構えていた綱吉は、いつもと様子が違うことにさらに驚きながらも、腕の傷に視線を落として、それから答える。
「そりゃ痛かったですけど、もう治りかけてるから平気です」
傷はもうかさぶたになっている。やがてはがれて跡形もなく消えるだろう。大して深くもない傷だ。
「・・・・そう」
ヒバリは一つ頷いた。それから、ぺろりと。
綱吉の腕のその傷に舌を這わせる。
「ヒバリさん?」
ヒバリはそのほかにも残る古い傷も、ゆっくりと癒すようになぞっていく。
「ヒバリさん?どうしたんですか?」
突然のヒバリの行動に、目をきょとんと見開いて問いかけた綱吉に、何も言わずに。
ヒバリは綱吉の肩に飛び乗ると、そのまま無言で首に抱きつくように腕を回してくる。
「くすぐった、ちょ、ヒバリさ、」
爪を立てないように腕の力だけでしがみついてくるヒバリを腕で抱えるようにして、綱吉はくすぐったさに、ぎゃあ、と
色気もそっけもない悲鳴を上げて、穏便にヒバリを引き剥がそうとした。
ヒバリはそれに逆らって顔を首筋に埋める。
「ちょ、あはは、ほんとっ、やめ、やめてっ、うひゃあっ」
押し付けられた顔の毛並みがやはりくすぐったいものにしか感じられず、笑い声と悲鳴を上げる綱吉の首筋をぺろり
とヒバリの舌先が撫ぜる。
ざらり、とした感触に綱吉は驚いて体を震わせた。
「ヒ、ヒバリさん?」
肩に乗ることくらいはしょっちゅうだが、常日頃からスキンシップを好む猫ではないのだ、ヒバリは。
なのに今日はどうしたというのだろう。
頭をそんな疑問が掠め、綱吉はその黒猫の顔を覗き込もうとした。
ヒバリはそれに逆らうように、綱吉の首にしがみつく。
爪や牙こそ立てられてはいないが、そこは急所の一つだ、と綱吉は改めて思い当たった。
大型の肉食獣が、草食動物の息の根を止めるためにまず食らいつく場所だ。
どくりと鼓動が跳ねる。
猫は、肉食獣で、天性のハンターだ。
今更ヒバリにそういった種類の恐れを抱く必要はないと直感では思いながらも、そこに無防備に触れられることを本
能が拒絶する。
だというのに、この暖かくてくすぐったい存在を、なぜか綱吉は引き剥がすことができなかった。
「ヒバリさん・・・・」
小さく音だけでその名を呼ぶ。
「綱吉」
ヒバリがこの奇妙なスキンシップを始めてから、始めて言葉を発した。
思ったよりささやかな声音だ。優しいわけでもなく、純然たる意志の強さを覗かせた、凛とした声だ。
わけもなくその声に安堵して、綱吉は緩やかに体の力を抜いて目を閉じた。
ぺろりぺろりと、ざらつく舌先が首筋から鎖骨の辺りをなぞっていくが、それはもう綱吉の神経を刺激しなかった。
ヒバリは自分を傷つけたりはしない。
何故だかそう信じることができた。
はずなのだが。
次の瞬間、綱吉は悲鳴を上げることになる。
「痛っ!!」
かぷりと。
まさしく吸血鬼のように首筋をひと咬みしたヒバリは、すました顔でその傷口から滲む血液を舐め取った。





その直後。
「ヒバリさん、もしかしてお腹空いてるんですか?!オレは食べ物じゃないですよ!!」
オレ、おいしくなんてないですから!!
綱吉はそうわめきたてて、ヒバリを盛大に呆れさせたのだった。
「うっさい」
一言低く呻いて、ぺろぺろと傷を舐める猫相手に。
「ごはん!!ごはん出しますからやめてくださいぃー!!」
綱吉の勘違いした悲鳴は、その後もしばらく続いたという。





翌日。
「ツナ、その傷、どうした?」
綱吉の首筋に、腕にあるような引っかき傷とは明らかに異質の傷跡を見つけて山本が問う。
綱吉は今思い出したというように、ああ、と呟いて、首筋の傷をなぞるようにしながら答えてきた。
「昨日ヒバリさんに咬まれちゃって。甘咬みだから、それほど痛くはなかったんだけど。でも首って急所じゃん?オレ、
ついにヒバリさんに獲物と認識されてるのかと思ってびっくりしたよ」
「・・・・そっか」
山本は相槌を打って、小さく頷く。
自分が、残された傷に感じた猫の独占欲というのはあながち勘違いでなかったのかも知れないと、そう思う。
危惧でこそないのなら、それはそのままの意味だったのだろう。
無自覚だというのなら、なおたちの悪い。
獲物ということならば、獲物には違いなかった。ただそのままの意味合いでの食用ではないというだけだ。
そんな、綱吉にとっては何の慰めにもなっていないことを考えながら。
溜息でもつきたい気持ちで、小さな親友に同情する。
「ツナはマジ、厄介なのにばっか気に入られるみてぇだよな」
獄寺は言うまでもなく、オレとか、さ。
きっと他にも増えていくのだろう、今後、それこそ無制限に。
胸のうちでだけ付け加える。厄介なのはヒバリに限った話でもない。
「や、やめてくれよ山本!!厄介なのなんてヒバリさんだけで十分だよ!!そもそも気に入られてるのかどうかなん
てわかんないし!!」
冗談じゃない、と綱吉は本気で青くなったようだ。
「悪りい悪りい」
あはは、と笑いながら一応は詫びてきた、その山本の予言(?)が、どうにも冗談ではすまなくなるのは、これからもう
少し後のこと。





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