アンバランス・ラヴ





気になって仕方がない。
怖くて、怖ろしい人。できたら関わらないほうがいい。
それがファーストインプレッションで、それは今もずっと変わることがないというのに。
あの人はその視線一つで、意識の方向性一つで、オレに自分へ視線を向けさせる力を持っている。
危険信号は最大級に点滅し、脳へと直接ガンガン警鐘を鳴らす。
この人は、いけない、ダメだ、何かを変えてしまう、作り変えてしまう、どうしようもなく、視線一つで。
わかっていても、もうオレはこの人から視線が逸らせないだろうと思えた。
人は見てはいけないと禁じられたものにこそ、魅力を見出すものだ。
相容れぬとわかっているものにこそ興味を抱くものだ、途方もなく、純粋に。
それは憧憬かもしれなかったし、もっと簡単に、畏怖の念から来るものかもしれなかった。
オレは、きっと、あなたの心に触れられないとわかっているからこそ、その体温を想像し、それに焦がれるのだ。
あなたを傀儡にできはしないとわかっているからこそ、誰より、あなたを望むのだろう。
すれ違う距離にこそ、あなたを感じるのだといったら、あなたがあなたらしくあるためにだったら、オレはどんな距離で
も容認するのだといったら、あなたは呆れもせずに、そう、と。
どうでもいいような口ぶりで、それでもそれは多分あなたにとってもオレにとってもどうでもいいことなんかじゃなくて、
とにかくあなたは頷いたから、それはオレとあなたとの間で決定事項になった。





「簡単に手に入るものだったら、こんなに欲しいとは思わなかったのに、なあ」
セリフの最後は少しだけ気が抜けたようなものになった。自嘲が混じったからだ。
ヒバリさんはそれに、ちらと視線をよこしただけだ、何も言ってこない。
なにを揶揄したものかもわかったはずはないが、オレのほうでも説明する気はない。
少し沈黙を維持していると、ゆるく溜息が空気に混じった。
「君甘いよね」
「そうですか?でもオレ、誰にも無理なんかしてもらいたくないし、ヒバリさんにも、」
オレが望むものを押し付ける気なんかないんですと、最後まで言わせてはもらえなかった。
唱えるオレの理想論を、ヒバリさんはねめつける視線の一つで跳ね返してきたからだ。
誰もが犠牲にならずにすむ方法を探すべきなんだ、とはいつものオレの理想論で、実際はそんなふうにできたためし
はなくて、でも捨てられなくて、本当は泣いたり騒いだろ取り乱したい気持ちをいつだって押さえ込むのに必死なオレ
は、それでも誰にもそんな素振りを見せた事だけはなかった。
今だって。
視線も表情も、感情を透かしたりはしていないはずだった。
なのにヒバリさんの視線は険しい。
オレ、地雷踏んだ?
とにかくヒバリさんの機嫌は急降下したらしい。
「なら、きみは一生そう思っているといい」
「ふえ?」
間抜けな声が、オレの声帯を震わせた。
さっき、一瞬前まで、ヒバリさんは扉の前に立っていたはずだった。
オレとの距離は10メートルとちょっと。
今はオレの目の前にいて、一瞬で距離を詰めてきたヒバリさんは、両手でオレの頬を包むように持ち上げて、がぶり
と噛み付くように口を開けて、だけど感触だけはふわっふわな、羽根のようなキスを、唇にひとつだけ。
ぽつんと、落として少しだけ笑った。
ちょっと困ったような切ないような、そんな曖昧な表情だ。
なのに漆黒の瞳だけは意志の光がいつもより少しだけ強い。
ヒバリさんはキスでオレに何かを伝えようとしたんだと、オレが気づいたのはヒバリさんが離れた後で、結局ヒバリさ
んが伝えようとしたであろうその意味に追いつけないオレは、ヒバリさんを見つめ返すしかない。
本当はオレは、ヒバリさんのおいていこうとした意味を汲むよりは、ヒバリさんにキスをもっととねだりたかっただけな
のかもしれなかった。
ヒバリさんとキスを交わすような未来は何一つ想像していなかったわけだから、それはオレの中でなにか、どうしよう
もないくらい決定的に鮮烈な出来事に違いなかったというのに。
馬鹿みたいに驚いて、目を見開いていた。
そのくせ馬鹿みたいに正直に、欲に濡れた瞳を曝していただろう。
薄く開いた唇、オレに触れた、赤い舌先、その体温。
すぐ近くで、ヒバリさんのにおいがする。
・・・・好きなんだ。大好きなんだ、どうしようもなく。
好きだと言う気持ちは怖いと思うことに似ている。怖いと思う気持ちは、好きだと思うことに似ている。
酷く似ている。
どちらが先だったかなんて、覚えていない。
ただ今は、ヒバリさんが好きで怖くて、たまらない。
自覚する。そんなことは、どうにもならないというのに。
ヒバリさんは、やっぱり笑ったみたいだった。さっきとは違うそれは、呆れたような色合いのほうが強かった。
幼い子供をなだめるもののようにも思えて、オレは今更に自分の視線の意味を恥じた。
頬が熱い。わずかに視線をそらせる。
「またね」
ヒバリさんはそれだけ言って、さっさと扉を開いてしまった。
一度前を向いたヒバリさんは振り返らない。真っ直ぐだ、その歩む道を。
直線的なヒバリさんは、ひねくれているくせに変なところで真っ直ぐで、何も言わないくせに瞳の色だけはいつだって
正直だった。
オレは、そんなヒバリさんが怖くて、だけど。・・・・好きでたまらない。





君が僕の恋なんだと気付いたのは、意外にも早いうちだった。
ただ何もかもをいちいち、口に出して確認するのは馬鹿げている。
きみは僕のものだと、僕が決めたんだから、きみは僕のものであるべきだ。
僕は一度も口に出して言わないだけで、君を僕のものというカテゴリに納めている。
僕が勝手にそう思っておくだけなんだから、君がどう思おうと関係がなかった。
人はいつだって、手を伸ばして掴めないとわかっているものに手を伸ばしてみたくなるものだ。
僕は僕のしたいことしかしない。
さっきの君の言葉を思い出す。
「簡単に手に入るものだったら、こんなに欲しいと思わなかったのに、なあ」
そう?何もかも手に入れておいて、まだ何も手に入れてないって思ってるのは君くらいだよ。
手を伸ばさないきみはそれに気づかないだけだ。
僕が距離を望むから、君は僕が望む以上の距離を、僕に対してあけすぎているだけだ。
君が望むなら、なんだって差し出すだろう駄犬とは違うけど、僕だって君に対してなら、多少の気持ちの用意はある
のに、いつだって君だけがそれに気付かないんだ。
もう少し、近付いて来たら。
そう口にする代わりにキスをひとつ。
僕は僕のしたいことしかしない。
それを知っている君なら、もう答えはひとつしかないってわかるだろ?





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