ほんわか、ふんわり。
気持ちが暖かくなるのは、幾つになったって、オレには京子ちゃん以外には考えられないらしかった。
中学時代から彼女はオレの癒しで、クラスのマドンナで、アイドルで、天使で女神だった。
彼女は、可愛い。可愛くて、優しい。彼女が笑ってくれるなら、なんだってやってやるという気になれるのだ。
だというのに、オレはそんな可愛くて優しい彼女より、何故だか、この凶暴な獣に恋をした。


恋と、そうではないもの





その、オレの言うところの凶暴な獣は気配もなく忍び寄り、というか、そもそも屋敷にいなかったはずなのに、一体い
つやってきたのか、それよりオレに気づかれずにいつ執務室に入ってきたのかすら定かじゃないが、とにかく背後か
らいきなりオレに声をかけてきた。
「誰の写真、見てるの」
文字通りオレは、飛び上がるかと思った。
実際飛び上がった。座っていた椅子からずり落ちる。
「うわあ?!」
ずり落ちたまま軽く飛びのいて、振り返る。確認する。
ああ、ヒバリさんだ。
確認した途端軽く焦る。オレが手に持って眺めていた写真を、彼が覗きこんでいたのだ。
「あ、えーと、」
言い訳をするのもどこかおかしい。
言いかけて、オレは口を噤んだ。言い訳が必要ないと思うわけではないが、焦るのは何かおかしい。
オレが選んだのはヒバリさんで、ヒバリさんだってそれはわかっているはずなのだ。
ヒバリさんは写真の京子ちゃんを見て、それから、ふうん、と言った。
「別にいいんだけど」
そう言って、それきり口を閉ざした。
もともと口数の多い人でもない。
さっさとオレから離れると、執務机の前、部屋の中央辺りに設置された応接セットのソファーに腰を下ろした。猫のよう
に目を細めて、どうやら眠いらしかった。
口に手を当てて、大きく欠伸をしている。
このまま睡眠をとるつもりらしい。ずりずりと体をソファーに沈めて、居心地よく落ち着く姿勢を探している。
別にいいんだけどといわれたら、それはそれで納得のいかない気持ちが頭を擡げてきて、オレはヒバリさんの傍に寄
った。
同じようにソファーに座る。
息抜きなんて、してたけど、京子ちゃんの写真とか見てたけど、でも机の上の決済待ちの書類はそれを許してくれる
ような量でもなくて、リボーンのキレる様子も目に浮かぶようだけど、オレはそれを無視することにした。
ヒバリさんは眠たげだ。吊り上がり気味の切れ長の瞳はもう半分も開いていない。
少し短くて、ぴんぴんと立った髪を撫でたいけど、絶対鬱陶しがられる。最悪殴られる。
わかっているからそれはやらない。ただ見ていた。
写真の中の京子ちゃんは笑っていた。優しくて可愛くて、誰もが元気になれる笑顔だ。
ヒバリさんは、ほとんど笑っちゃくれない。浮かべる場合、ほとんどがいい笑いではない。
にんまり、とか、にやり、とか。
全開のさわやかな笑顔のヒバリさん、というのも想像し難い上に怖いから、それに不満を感じたことはないが。
そんなことを考えて、ふと思いついた。
そういえばオレは、この人の写真1枚持っていないのだ。
考えてみたら、恋人だというのに、そんな簡単なおねだりひとつしてみたことがなかった。
普通に恋人、というのとはどう考えたってオレたちの関係は違うし、そもそもヒバリさんに普通なんて期待するだけ意
味がないとわかっているから、特別不満はないんだけど。
思いつきのまま、言ってみる。
「ヒバリさんの写真を、1枚だけください」
「やだよ」
眠りかけていたわりには即答だ。瞳は閉じられているが、声だけはやけにはっきりとしていた。
「そこをなんとか。1枚だけでいいんです」
このとーり、と拝んでみる。
「いやだ」
やはり、即答。
うう。この人はこういう人だった。
まあいいんだけど。
はっきりすぎるほどきっぱりと、嫌だと即答されると、それはそれでなんだか曇り空な気持ちになれる。
うう、と呻きながら軽く凹むオレに、ヒバリさんはぱちりと瞳を開いて視線を投げた。
「だいたい、僕の写真なんか君、どうするのさ」
「えーと、まず、眺めます」
「サムイね。それから?」
サムイ!!サムイって!!
あうう、と内心怯みつつも、周囲の人間に大胆に鍛えられたせいで少しだけ厚くなった面の皮で表情を変えずに対抗
する。
「たまに、話しかけるかもしれません」
「カユイ。で?」
カユイ!!カユイってゆった、この人!!
あうううう、と数秒引きつったが、なんとかさらに対抗する。
雲雀恭弥と恋愛を続けていこうと思ったら、このくらいでめげちゃいられないのだ。
「それで、キスとかしたら怒ります?」
「・・・・帰る。僕、鳥肌立ってきた」
しまいにゃ鳥肌って!!
表情を変えずに、ヒバリさんは言い切った。言い切りやがった。
帰る、という割には立ち上がる仕草さえ見せないが。
オレはついにうわーんと泣きを入れる。
「ヒドイ!!3ヶ月ぶりに会った恋人にする仕打ちですかそれ!!」
「僕にメリットがないもの」
さらり、とヒバリさん。
メリット!!恋人同士でメリットとかいうか普通!!無償の愛とか・・・・、ないですね、はい。そんなん期待したオレが
馬鹿でした。
内心で自己完結しつつも、とりあえずというように提案してみる。
「オレの写真もつけますから」
そういえば、オレの写真と言うのも、この人も持っていなかったはずだと思い当たったからだ。
そんなものを持ち歩くヒバリさんというのも想像がつかないが、信じられないことにヒバリさんはオレを選んだらしいの
だ。
例えばオレが京子ちゃんに求めていたような、ほんわかとかふんわりとか、ヒバリさんをして想像もつかないような感
情の源としてだ。
暖かいとか、可愛いとか、そんなものを求めているらしいのだ、信じられないことに。
それなら写真くらい、欲しいとか言ってくれないだろうか。
そんな期待に満ちたオレを、ヒバリさんは一瞥した。それから、興味なさそうに目を伏せる。
「いらない」
「ヒドっ!!しかも即答?!」
これが即答なのはさすがにヒドイだろ?!
「今のはヒドイです!!ヒバリさん!!そこは嘘でも欲しいって言うところです、つか言ってくださいお願いします」
抗議したはずが、なぜかセリフの最後にはお願いになっている。
ヒバリさんと相対していると、謝るかお願いか、そんな態度になってしまうのはなんていうかもう中学時代からの習性
だ。きっと一生なおらない。
ヒバリさんは、うるさい、とどこからともなく取り出したトンファーでオレを一撃してくださった。
いってぇー!!と蹲るオレに、ふん、と鼻を鳴らして、だがヒバリさんは言った。
「もう持ってる」
「ええ!!ど、い、いつ?!いつとったのー?!」
がば、と顔を上げて詰め寄ったオレをヒバリさんは鬱陶しげに見つめたが、口元はわずか、笑っている。
こういうときのこの人は機嫌がいいのだ。
「君、いつだって僕といるときはだらしなく寝てるからね」
ごろごろと、喉を鳴らす猫科の動物のように、目を細く笑みの形に歪めてヒバリさんは言った。
「勝手にー?!オレが朝そうなっちゃうのは、誰のせいですか!!ヒバリさんが無茶するせいです、って、そんなこと
はいーんです、肖像権の侵害を主張します!!」
一気に喋りたてるオレを、愉快そうに眺める一対の細い瞳。
獲物にされた気分だ、ひどく凶暴でだけど愛しい獣の。
「ふうん。よくそんな難しいこと知ってたね」
「感心するところ、そこー?!いやいやいや!!見せてください、どんな写真ですか?!」
「いいじゃない、別に。1枚くらい持ってたって。恋人なんだろ?」
「よくないです。寝てるときのオレなんてよだれたらしてるかもしれないし、口なんか絶対半開きだし!!しかもオレに
はくれないくせに、恋人なら1枚くらい持ってるのが当然、みたいな言い草ってどうなんですか!!」
ヒバリさんは虚空に目をやって思い出すような仕草をした。
「うん。よだれ、出てるし、口はあいてるし、髪もぼさぼさだけどね。ああ、口は閉じてるか。あまりに君がよく寝てるか
ら頬をつまんで引き伸ばしてシャッター切ったから。君のほっぺた、よく伸びるよね」
「ああああ!!そんなもん褒められても嬉しくねー!!」
ツッコミどころ満載のセリフに絶叫するしかないオレに、ヒバリさんは冷静に告げた。
「褒めてないよ」
げんなり、とオレは撃沈する。
あうう、と呻きながら聞いてみる。
「ああそうですか。で、オレの写真、なにに使ってるんです」
ソファーに転がるヒバリさんのネクタイに手をかけた。
緩めて、抜き取る。ヒバリさんもそれを阻止してはこない。
「なにに使って欲しい?」
そういわれると思いつかない。シャツのボタンを外そうとした手を止めて、オレは首を傾げた。
オレのように、眺めたり話しかけたり、キスしたりなんかこの人がするはずないし、したらしたで、困ってしまう。
この雲雀恭弥が、というポイントにおいてはヒくが、それが全く嫌じゃないから、すごく困る。
困ってしまったオレに、ヒバリさんはやはり愉快そうだった。
「眺めたり、踏みつけたり、殴りつけたり、かな」
「写真にまでそんな仕打ちー?!」
マジでこの人、血も涙もねええええ!!
ヒバリさんはそんなオレのコメントを鼻で笑って、ソファーの上で起き上がる。
鋭い目つきで切り込んできた。
「君が僕の写真にするように、眺めたり、話しかけたり、キスしたりしたら満足なの?」
心を見透かしたような言葉だった。
怒られるのかと思う。笑われるのか、とも。
だがヒバリさんは怒りもしない、笑いもしない代わりに、ただ見つめる瞳だけが鋭かった。
心を探るわけでもなく、だた切り込むような視線だ。冷たくもなく、暖かくもなく、ただ見つめてくるだけの。
「眺めたり、話しかけたり、キスしたり、僕にして欲しいの」
「・・・・っ」
言葉に詰まる。
この瞳が、見つめて、この声が話しかけて、この唇で、オレの写真に。
そう思うだけで途端に頭が沸騰しそうになった。
その想像はたまらなく、いやらしい。だけど否定できない。絶対にできない。
「顔、赤いよ」
「ヒバリさんが言うと、なんか、やらしい、です」
しどろもどろにそれだけ言った。
ヒバリさんの手が、オレのネクタイを解いていく。するりと、引き抜かれて、そのまま指先はシャツのボタンにかかっ
た。
「君が言ってもいやらしいよ。変わらない」
「オ、オレはもっと、そういう意味じゃなくて、」
「そういう意味だろう?顔を見て、話をしたら、声が聞きたいし、キスをしたら、もっと体温が欲しくなる。当然だろ」
「うー」
唸っておく。正論だ。でも頷くのは恥ずかしすぎる。
「別に、オカズにされるくらいはいいんだけど、」
「下ネタ反対!!ヒバリさんのその顔で言わないで!!」
慌てて叫んだ。これ以上は本当にどうかなってしまう。これ以上体温が上がりそうなことを言わないで欲しい。
だがヒバリさんは淡々と続けた。
「でもそれってあんまり、寂しいだろう」
「だけど、」
オレは言いかけて、口を閉ざした。
何を言ってもそれはきっと正しくない。何を言っても、きっとこの人には敵わない。この人の言う言葉がもっとも正しいと
オレ自身が思えてしまったからだ。
何も言えなくなったオレのシャツを剥ぎ取りながら、ヒバリさんはオレのこめかみに唇を寄せる。
「まあ、僕の滞在中に、僕に気づかれずに撮影することができたら、1枚くらいは持っててもいいよ」
キスのあとに落とされた声。オレは思わずガッツポーズをとった。
「やった!!」
この人に気づかれないようにってかなりの難関だけどな!!
だけどきっと、もし撮影できたとしたら、それはヒバリさんがそれを許可してくれたってことで、気づいていないふりをし
てくれただけってことだろうと思うんだ。
普通の恋人のように、ヒバリさんの性格上、素直にプレゼントなんてができないから、間接的にプレゼントしてくれるだ
けだろうと思えた。
嬉しくてぎゅうと抱きついたら、だけど、とヒバリさんは続けた
「笹川京子の写真と同列に僕の写真を扱うつもりなら、咬み殺すよ」
首筋に寄せられる舌先にオレはびくりと体を揺らす。
顔は見えない。声だけが聞こえる。
「眺めて、話しかけて、キスをして、きみは笹川京子の写真にも、それをするの?」
珍しく、嫉妬のようなものがこもった声だった。
本当は京子ちゃんの写真を見たそのときから、ヒバリさんはそんな問いを胸にしまったままだったのかも知れない。
なんて、可愛い人。
「しないです、しません。しようと思ったこともない」
オレは正直に告げた。
京子ちゃんは時を変わってもオレのアイドルで、そういう欲を伴わない、キラキラ光る、可愛くてやさしい女の子だ。
好きだと思う気持ちはいつだって胸にある、変わらない。だけど気持ちが変わらないのは、それが恋愛感情ではない
という証のようにも思うのだ。
好きだけど、欲しいとは違う。愛しくても、抱きたいとは違う。
恋愛感情であるならば、醜く変化していくものだ。
欲しい、渡したくない、抱き合いたい、オレだけを見て欲しい。
この人に向けるそれのように。
京子ちゃんには、みんなのアイドルでいて欲しいと思う。それだけで幸せで、嬉しくて、だから違うのだ。
京子ちゃんと、ヒバリさんを同列になんか、考えられるはずがない。
オレはヒバリさんの写真を見るのなら、ほんわかと、ふんわりと、ただ漠然とした暖かいだけの気持ちになんかなれ
ないと思うのだ。きっと苦しくて苦しくてたまらない。
どこにいるんだろうとか、いつ会えるだろうとか、無事でいるだろうか、とか。
オレがヒバリさんを思うように、ヒバリさんも同じ気持ちを重ねてくれるだろうか、とか。
ヒバリさんは、オレの心をかき乱す人だ。
安心も癒しもくれはしない。暖かくて優しいだけの存在ではない。痛みを与える人でもあり、身を焦がすような切なさを
教え込んだ人でもある。
熱を与えるのなら、白く燃える炎のようで、噴火寸前のマグマのようで、熱くて熱くて、しまいにはとろけてなくなりそう
なのに、それさえ許してはくれないような。
オレは胸元に顔を埋めるヒバリさんの、両頬を両手で包んで、顔を引き寄せた。
ヒバリさんは逆らわなかった。顔が近い。
黒い瞳だ。髪も黒い。
写真の中で微笑む彼女とも違えば、オレとも違う。
黒は何ものにも染まらない、唯一の絶対の色だという。
この人がなににも染まらないというのなら、オレが染まるしかないじゃないか。
瞳は真っ直ぐで、澄んでいて、綺麗な色で、この色に呑まれるのなら悪くもないかなと思ってしまう。
だからオレは。
可愛くて優しい少女より、何故だか、この凶暴な獣に恋をした。





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