僕は君が嫌いなんだと思っていた。
どうしていつも君は笑うんだろうとか。
どうでもいいことで怯えるんだろうとか。
とにかくきみは僕にとって不可解な人間だった。
理解できないけど、きみは弱いのに、どういうわけか、確かに強い。
強いものには興味がある。面白いからだ。
だから理解してみたいと思った。惹き込まれたのだ。
思えばそこが入り口だったんだろう。


夢にも思わない





「僕、君を飼いならすことにしたから」
君にとっては突然の、僕の宣言に君は目を見開いたようだった。
「・・・・は?!」
真顔でいきなりなんなんですかヒバリさん!!
うわ、相変わらずこの人の言うことはわけわかんないな、飼いならすって、猫かよ?!ってそれ、もしかしてオレのこ
と?!
そんな困惑を脳裏にいっぱいいっぱいに広げながら、顔を引きつらせている。
君の考えは本当に分かりやすい。バカだから顔に出やすいんだと、君の家庭教師の赤ん坊は言っていた。
君の考えてることくらい手に取るようにわかるのに、僕には君の強さだけがどうしても理解できなくて、結局白旗まで
上げているというのに、君はそれに全く気付いていない。
バカだから、と赤ん坊が言っていた、そのままの意味にとるわけじゃないけど、君には本当に驚かされることばかり
で、それはときどき、やはりバカだから、と結論つけるしかないような事態が混じっていることに僕は気づいている。
理解してみたいと思うのは、君を観察していたいと思うことと同じだった。
観察していたいと思うことは、君に懐いてもらいたいと思うことに繋がった。
ありのままの君を見ているだけでよかったのに、少し近くへ行ったら、君に気付かれもしないなんて耐えられなくなっ
た。
それなら強引にでもこちらを向かせるまでだ。
「オレ、ですか?」
君は人差し指で頼りなく。確認のつもりか、自分を指差して、声を引き絞る。
「うん、君、まだ誰のものでもないだろう」
「まだも何も・・・・オレはいつだって誰のものでもありませんよ」
きみは困惑しっぱなしらしい。
それでも声ははっきりとしている。意志ははっきりとしている。
眉が寄せられた君の顔を、僕は少し眺めて、それから頷いて見せた。
「うん。ならよかった。現実的に考えて、他人の飼い犬は飼えないものだからね」
「はあ」
現実的に考えてって、ヒバリさんが言うほど似合わない言葉ってないよなあ。
何やら失礼なことを呟いて君は、それでも僕の言葉を反芻くらいはしてみたらしい。
はっ、と気づいたように叫ぶ君は、いつもは怯えてばかりの癖に、時々強気だ。
「いぬ?今、犬って言った?!犬ってオレのことか!!」
「うるさい」
殴っておく。悲鳴が上がった。
「ひどい、ひどいですヒバリさん!!」
涙目。僕を見上げてくる。
うん、いいね。
僕は機嫌よく笑って見せた。告げる。
「君、今日から僕のものね」
「はあ?!えええ!!いやいやいや、ちゃんと会話しましょうよ。何でいきなりそんなお話に?!」
ああ、面倒くさいな、と思う。
どうしてきみは僕の行動が理解できなくて、それにいちいち説明を求めるんだろう。
僕は説明するのが得意ではなかった。
僕の考えは独特だ。そうでなくても、言葉にして説明してみたことなんかない。
それを僕にさせるのは君くらいだ。
面倒くさいな。そう思いながら、僕は僕の中に、君の求める答えになりそうなものを探す。たいした譲歩だ。
君に対してだけ。
「僕は君を可愛いとは思わないし、君は別に可愛くないし、君が好きかって言われるとよくわからない。きみは男だ
し・・・・、まあでも別にそんなことはどうでもいいんだけど、」
「どうでもいいって!!どうでもよくないし!!あーもーなに言ってんのこの人!!」
草壁さんヘルプ!!と叫ぶ君は、草壁を僕専用の万能通訳機だと思っている。本気で思ってる。
ああ、また殴りたくなってきた。答えになりそうなものはまだ見つからない。見つかりそうにない。
「・・・・でもさ、甚だ不本意で仕方がないんだけど、」
「なにがですか!!」
「・・・・僕にもよく分からないんだけど、」
僕は本気で途方にくれた。
やっぱり説明なんて僕には向いていない。
君もそれは察したんだろう。
僕も困った顔をしているだろう。でもいつの間にか、多分僕以上に困った顔を君がしていた。
「もう・・・・、本当になにが言いたいんです・・・・?!」
「うん、つまりね、」
君は僕を見上げている。
瞳の色素が薄い。この瞳がバーミリオンに輝く瞬間を僕は知っていて、それは君の炎の色なんだと僕は知っている。
どちらの色の瞳も好きだ。
僕の言葉を待っている、君の唇は半開きだ。
女の子のようにピンク色でもなければ、つやつやに整えられているわけでもない。
それでも君のそこは柔らかいんだろう。少しだけ荒れていて、かさかさして、それでも柔らかいのに違いない。
触れて見たいと思う。
僕はいつだって本能に逆らわない。
ぱくり。
音を立てて食いついたら、君はびくりと体を震わせて、硬直したようだった。
「!!」
君の顔に浮かんだのは激しい驚愕で、青いんだか赤いんだかめまぐるしく顔色を変える。
口をぱくぱくと開閉させている。
新しい反応だ。少し可愛い。
僕は何故だか安心していた。君の唇が予想よりもずっと柔らかくて暖かかったからだ。
言葉でうまく説明できない僕が欲しかったものは、これだと確信できたからだ。
僕はそれに満足して頷いた。
「うん。いいね。やっぱり僕は君をこうしたかったみたいだ」
「っえ!!マジで!!それってどういう、ああああ、ち、ちょっと待ってください!!」
僕はさらに顔を近づける。君は混乱を極めているらしい。
「じ、冗談、ですよね?」
「これが冗談だと思うの」
「・・・・思いません・・・・」
言いながらも君が手で必死に僕を阻もうとするので、僕は少し不機嫌になった。
むす、とした表情を作ると、気配を察した君がビクリと震えたのがわかる。
問いかけた。
「で?きみは、僕に飼われてくれるの」
「飼う気ですか!!オレを?!ち、ちょっと待ってくださ、」
「待たない」
そもそも僕が暴力ではなく、言葉による交渉をはかるなんてめったにないことなんだから、この辺で納得しておきな
よ。
そんな僕の気持ちに反して、君はしつこく食い下がってきた。
「ええ!!いやもうほんと、待ってくださ、」
「いやだ。だめ。待てない」
僕はきっぱりと切り捨てた。もともと、君の意志なんてどうでもいいってわけじゃないけど、それほど聞く気があったわ
けでもない。
「うう・・・・なんでこんなことに」
絶望的な顔で君は呻いた。
だけど君は僕に逆らわないじゃないか。いつものように逃げ出さないじゃないか。
それなら君の意志の逡巡なんてものに付き合うつもりはない。早く僕を選んじゃいなよ。
僕は君の手を引いた。
「じゃ、行くよ、ポチ」
「行くってどこにですか!!ていうか、ぽち!!ポチってオレのことー?!」
「うん。嫌ならタマでもいいさ」
言いながらさくさく歩き出す。君はやかましくわめきたてながらもついてくる。
ほら、やっぱり君だって僕が好きなんだろう。
「ちっともよくありません!!その妥協なんなのー?!あ、あの、ヒバリさん、大変恐れ多いんですが、オレ、オレには
綱吉って言う名前が、だから、えと、ツナ、とか」
「やだよ。そんな誰もが呼んでる君の名前」
「だからってポチとかタマとか呼ぶか普通!!」
うるさいよ、と言ってやるときみは途端に口を噤んだ。
僕のうるさいよ、の後にトンファーが出るって学習したんだろう。
おとなしくなった獲物の手を引いて僕は僕のテリトリーまで引きずって行った。
それから手を離して、
「おいで」
と、僕は君を呼んだ。
僕がそう言ったなら、君が逆らえないのを僕は知っている。





10年たっても、相変わらず君は、何もないところで転んで、なんでもないことで笑って、意味もなく優しい。僕には理
解できないままの人間だった。
怯えなくなったけれど、その代わりに失望でもなく絶望でもない、ただ穏やかな苦笑を浮かべてみせる。
どんなことにも馬鹿みたいにお人よしなのは変わらない。
人は多分そう簡単には変わらないもので、そういうものなんだろう。
僕にとって人とは、戦うもので、殴るもので、踏みつけるものだ。
例外はなく全てがそうだ。
君のことも、戦って、殴って、可能ならば踏みつけたかった。実際に何度かそれをやってみた。
人は簡単には変わらない。
多分君の本質は何も変わっていない。
だから、それならば、変わったのは僕のほうだ。
君が笑うのは意味があって、君が泣くのにも意味がある。
理解はできない、でも、意味があるのだと言うことだけは何故だか僕にもわかるようになってしまった。
きみは何一つ僕に与えたわけでも、奪ったわけでも、まして、殴ったわけでも踏みつけたわけでもなかったのに、僕
は君の行動の意味に気づいてしまった。
それは不愉快で、だけど楽しくて、ほんの少しだけ暖かいのにひんやりと冷たくて、ほのかなむずがゆさを僕にもたら
した。
きみは僕にとって踏みつけたいだけのものではなくなっていた。
経験のない感覚だ。
僕は君が嫌いなんだと思っていた。
だけど、殴りたいも踏みつけたいのも、触りたいことの裏返しで、だけどそのままの意味だった。
今の僕は君を支配したいと思いながら、それが意味のないことで、実際にはできはしないことだと気づいている。
そんなところでも、君だけが特別。


「か、飼うとかってことは、その、オレたち付き合うとか、そういうことなんでしようか・・・・?!」
「ああそうか。普通はそういうふうに言うのかな。でも、どうでもいいよ」
「・・・・ですよねー」





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