「まただ」
呟いた。
居間に転がる何かはそれなりには見慣れたものだ。
こんな場所に転がっているのでなければ割りと昔から目にしていたかもしれない。
昔と違うのはあの奔放に跳ねた癖の強い髪が、その外見を裏切って実はやわらかいことを知っていることくらいだろう
か。
わかっていることもわかっていたこともわかってしまったこともたくさんあった。
知られたことも知られていたことも知られてしまったこともたくさんあるだろう。
そんな位置関係だ。彼とは。
一般的な人間関係でもなく、一般的な恋人同士でもなかったが、一応はそれに該当するはずだった。
一方的な勘違いでないのなら。
1つだけ嘆息して、畳の上にだらしなく寝そべるように落ちてる落し物、沢田綱吉に視線をやる。
相変わらず全く落ち着きのない髪に隠されるように地に伏せられた顔は眠っているように見える。
眠っているようにしか見えない。


LOVE ME IF DARE・・・・





つんつん、と突付いて完全に意識がないのを確認する。
ここでガツンとやらないのは、沢田綱吉の童顔にはとてつもなく似合わない目の下のくまのせいだ。
起こすのが可哀相とか、自分にして正気を疑う発想だが、彼に対してならいとも容易く発動してしまうのだから仕方が
ない。逆らわずにそれに従っておく。
後ろから声がかかった。
「また、ですか」
「まったく。どうなってるんだろうね」
腹心に声を返しながらもそこに不快感を示す響きは混じらない。
不快でないからだ。
・・・・沢田綱吉の本心には気づいている。
長年の腹心もそれに気づいているだろう。だが彼はあえてそれを口に出したりはしなかった。
そういう男だから側近く仕えることを許した。そういう男だから信用している。
草壁はただ事務的に問いかけてくる。
「あちらへの対応はどうします?」
「不可侵規定違反の罰則で1週間の拘束。そう伝えて」
こちらも事務的に返す。
規定違反の罰則。そんな口実を作ってゆっくり休める時間を求めているだろう彼の思惑に乗っかってやる。
本当はもっと別の意図があるだろう、それにも乗っかってやる。
それは彼の家庭教師や側近だって同じだろう。
そうでなければ彼の、こんなボスらしからぬ訪問はどこかの段階で阻止されているはずだった。




だらしなく投げ出された体を肩で抱えて持ち上げる。
相変わらず軽い。もしかしたら以前より少し軽くなったかもしれない。
抱えるとちょうど背中の辺りに彼の顔が来たらしい。彼の呼吸が背を掠めていくのがわかる。
それが確かな体温を持った、穏やかなものであることに安堵した。
彼が雲雀がいるときを見計らうようにして財団の施設内で行き倒れていることは頻繁なことになりつつある。
というか毎回だ。
といっても雲雀自身がそうしょっちゅう日本の財団施設に滞在しているわけでもないから、それを計算に入れれば年
に1度か2度ほどだろう。
そういえば前回はちょうど半年前だったなと思い出す。
そのたびに同じ会話が繰り返される。
繰り返されることに意味はなく、とりあえず互いのプライドのためにするような、そんな会話だ。





「君さ、いい加減人の施設で行き倒れるのやめてくれない」
言いながらも、叩き出しもしない自分が本当はなにを望んでいるのか。
「あはは、オレもそうしたいんですけどねえ」
笑って答える彼はきっと気づいている。
「迷惑なんだ」
「うん。はい。わかってます。でもここ以上に休めそうなところってなくて、オレ、あなたの機関がうちから独立してて本
当によかったって何度思ったことか」
惚けてそういう彼だって、本当に言いたいことはそんなことじゃないだろう。
「知らないよそんなの。そもそも君のためじゃない」
「うん。知っています」
彼は答えて笑う。
こんなときばかりボスの顔ではない。幼くてだらしなくてどうしようもないくせに優しい、1人の青年の顔をする。
「だいたいさ、君、僕がいないときにはこないらしいじゃないか」
本当は僕に会いたいんだろう。そう問いかけてしまえたら。
「そういうのわかりますから。あなたがいない時」
・・・・きみはYESと答えるだろうか。それともそんな時だけ、必死でボスの顔をするんだろうか。
「いつもはどうしてるの」
確かめられないまま、掘り下げて聞いてみる。別にそんなことに興味があるわけでもないのに。
「いつもは、そうですね、適当に」
「適当に、どうしてるの」
「なかなかね、難しいんですよ。誰にも心配されないように倒れてるの」
「で?」
「だから、なんとか頑張って、ヒバリさん帰って来たなーって気づいちゃったらもうダメですね」
へらり、と笑う緩みきった顔。
ぴくりと。僕がこめかみを引きつらせたのに気づかないわけでもないろろうに。
気づいて笑っている。むしろそうさせるために笑った。そんな顔だ。
いつから君はそんなふうに僕のことさえコントロールするようになったのだろう。
僕に言わせないために。彼自身が言わなくてすむように。君のそれは果たして優しさからなのか、臆病な気持ちから
なのか。それとも単なる意地なのか。
コントロールされている。そうと知りながら問いかける。
「ここなら、向こうに心配がかからないと?」
「はい。だっていつもうまく言っておいてくれるじゃないですか、って!いひゃい!!いひゃいれすー!!」
頬を両手で引っ張って悲鳴を上げさせる。
苛立ちの根源は彼の言葉じゃなくて、本当はもっと別のところから来たものだ。わかっているけれど。
「どんだけ甘えれば気がすむんだい?言っておくけど、君のためじゃない!」
「はい。わかってます。でも心配されないことが一番オレには楽なんですよ。だから心配しないでくれるヒバリさんの
存在って、貴重です」
困ったような顔で笑うのは、この答えで納得してほしいと訴えているのだと知っている。
僕はふん、と顔を背けた。
「してやらないよ。心配なんか」
「はい。知っています。でも少しだけ休ませてもらえると助かります。場所借りますねー」
とてとてと、足音も軽く。勝手知ったる人の家、とでも言わんばかりに綱吉は客間に退散していく。
そうじゃない。そうじゃなくて。本当に話したいことは。
本心はきっともっと。
そもそも群れ嫌いを宣言する僕を主とするこの施設に客間があるのだって、客は君以外を想定してないんだとかなん
だとか。そんなこと1つでさえいえる気がしないのだから、それ以上なんてとても無理だった。





「・・・・ムカツク」
そんなことを回想していたら。
とりあえずもやもやとむかつきが胸にこみ上げてきた。
それに逆らわず、抱えていた体から手を滑らせる。重力に従って床に落ちるそれに、肩にかかる重みは消失した。
「い、っ・・・・?」
少し遅れて呻き声が上がる。うん。起きたね。
「やあ。おはよう沢田綱吉」
屈んで顔を近づけて言ってやる。
「ヒ、ヒバリさん?あ、えっと、お、おはようございます・・・・?」
うろたえた様子で無駄に大きな目をぱちくりさせた彼は、きょろきょろとあたりを見渡して現状把握に忙しいらしい。
それさえも、計算されたものであるだろうけれど。
「君がうちの床に落ちてたんだ。さっき僕が拾ったんだけど」
淡々と続ける。
「僕が拾ったんだから僕のものだ。僕の好きにしていいはずだね」
そう完結させると、ようやく彼の脳は目覚めを迎えたらしかった。
「よかないです!拾ったものは交番に!」
何か不穏な空気だと感じ取ったらしい。いまだ地面にへたり込んだままだが視線は隙なく逃げ場を探している。
彼に合わせて屈みこんだ。告げてやる。
「拾ったものは風紀に、だよ。だから結局すべて僕のものさ」
視線を真っ直ぐに合わせた。
彼は途端に困った顔だ。眉が八の字に下がっている。
でも今日はやめてなんかやらないって決めた。唇がひどくかさつく。喉が渇く。
熱いからだ。体の内側がたまらなく熱い。君に届けと願う。
この熱の一欠片でも君に届くなら今この瞬間何もいらないと、この僕が思うのだ。
だからこの願いはかなうべきだ。誰に対してでもなく思う。
静かに言いかけた。
「僕に会いたかったんだろう」
それは問いかけですらない。答えは最初からわかっているのだ。
綱吉もその言葉の持つ響きに気づいたんだろう。
否定しようとしてか1度開いた唇を閉じて、それから少しだけ困ったような瞳の色に諦めたような色が混じった。
もごもごと、呟くような声が続く。
「そりゃ間違ってませんけど」
そらされる視線を追うように、身を屈めて距離を詰める。
「休む場所はどこでもいいってわけじゃないんだろう」
だって彼はここと同じような機関をいくつか有しながらも、ここ以外には来ないという。
単に休みたいというのなら。もっと別の手段だって取れるはずなのだ。
いかな厳しいあの家庭教師も、彼が過労死する数歩手前でなら休みくらいくれるだろう。
それなら。
「僕のところがいいくせに」
「う」
耳元に唇を寄せて。低く言い切った途端綱吉は一声呻くようにした。
ぴくりと体が揺れる。彼の薄茶のふわふわした髪もその動きにつれてふわりと揺れた。
綱吉がゆっくりとそらしていた視線を、僕に戻す。それは思いも寄らぬほど強い瞳だった。
目尻に薄く涙が浮かんでいたりするが、睨みつけられていると、そう感じる程度には。
「なに」
言いたいことがあるの。いってごらんよ。
うながしてやると、ついにキレたらしい綱吉が、強い語調で言ってきた。
「だって。こっちに帰ってきてるくせに、ほっといたらヒバリさん、1度もうちにきてくれないでしょう!」
「だって用がない」
「ヒバリさんの根性なし!どうせまたすぐ離れ離れになるんだから、もう隙あればいちゃつく!雨が降ろうと雷が鳴ろう
と嵐がこよう霧が出ようといちゃつく!これが遠距離恋愛の基本です!」
「君、僕のこと好きだったの」
「好きですよ!当たり前でしょう!だってオレたち一応その、」
「うん。そういえば恋人だっけ」
「そういえばってなんですか!」
「そうだね。全くだ。そもそも君がその恋人に会いに来るのに、会いたいの一言もいえないから拗れたんじゃなかった
っけ」
「っだってヒバリさんも言わないし!もしかしたら会いたいのオレだけかもしれないし。鬱陶しいって思われるかもしれ
ないし」
言いながら鼻をずびずびやりだして、言葉が終わる頃にはうわああああんとか泣き出した青年がやんごとなき組織の
ボスだとか誰が信じるというのだろう。
「本当にどうしようもないね君」
薄く笑っていってやると、形ばかりの睨む視線が僕を見る。
涙を浮かべたそれは迫力なんか欠片もなかった。かくしようもない恋情を含んでいるからだ。
「きったない顔」
言いながらそんなことは欠片も思っていない自分がいる。
どうしようもなかろうが、汚い顔だろうが、僕は彼がたまらなく好きだった。いわないけれど。
沢田綱吉に、ボンゴレボスに、どうしようもなく我儘に泣いたりわめいたりさせるような、それができるのは僕か、もう
一人の別の例外、あの黒衣の家庭教師くらいだろう。
だからとても気分がいい。
上機嫌に笑って彼の首根っこを掴む。まだずびずびと情けなく鼻をすすっている彼を引きずって、僕は客間から僕の
部屋に針路変更する。
別にどちらでもよかったけど、ここからなら僕の部屋のほうが近い。
いまだ涙を浮かべている美味しく仕上がった彼をどうやって腹に収めようか、それだけを考える。
それなりに疲れているらしいが、隙あればいちゃつく!とかどうしようもないことをわめきちらした彼だって、そのつもり
なんだろうから、配慮してやる必要はないかと思う。
どうしようもない沢田綱吉と、どうしようもない僕。
結局はなんだかんだで、僕たちはうまくいっているらしかった。