「・・・・・なにこの猫」
学生生活、1人暮らし。
その生活をスタートすべく、既に荷物も届いているであろう部屋の鍵を開けた。
期待に胸を膨らませ扉を開け放った、その第一声がそれであったとしても。
この場合誰が彼を責められようか。


BLACK CAT LIFE





さして多いわけでもない、一纏めに積まれたダンボールの上に、黒猫が一匹鎮座している。
「どこかから入ってきちゃったのかな」
わずかな沈黙を挟んで呟いては見たものの。
窓は当然閉まっている。扉だって今しがた綱吉が空けて入ってきたばかりなのだから、当然施錠されていたはずだ。
他に入れそうなところってあるっけ、と綱吉が視線をめぐらせていると。
今まで背中を向けて窓の外を見ていた猫が、振り仰ぐようにして綱吉を見た。
金色の目だ。黒い毛並みによく映えて、煌くその色がやけに印象的だった。
「金色の目の猫って始めて見た・・・・」
綱吉は思わずというように呟いて、屈みこむようにして猫を見つめるとそっと無意識に手を伸ばす。
指先が触れる、その一瞬前に黒猫はわずかに身を引いてその手を避けるようにした。
そして一言答えてくる。
「猫じゃない」

・・・・。

それは先の綱吉の台詞への返事であったのだろうが。

・・・・?!

明らかに不自然な展開に綱吉が間抜けな声を上げる。
「へ?!」
空耳?とばかりに、あわてて辺りを見回す綱吉に猫はさらに呟いた。
「僕はちょっとばかり猫っぽいだけで猫じゃない」
間違いなく聞こえてきた声に、綱吉はさらにすごいスピードできょろきょろと辺りを見回すが、だからといって目の前の
猫(仮)以外には荷ほどきを待つ荷物くらいしか存在しない。
ぎぎぎっと、人形じみた動作で、綱吉は青褪めた顔を、優雅に尻尾を揺らす猫に戻した。
「・・・・・」
沈黙。
結局のところ、事実は事実としてありのままに認めるしかない。
「・・・・うわああ!!この猫しゃべったよ!!」
綱吉は猫を指差すとずささっ、とあとずさって後ろで尻餅をついた。
猫はつまらなさそうにそれを一瞥し、応じる。
「だから猫じゃないんだってば。あんまりしつこいと咬み殺すよ?!それより君がここの宿主?」
「はい、まあ一応そういうことに・・・・」
尻餅をついたままこくこくと頷いてみせる。相手は猫だというのに、なぜか敬語でだ。
あまりのことに思考が停止状態なのと、猫が妙な威圧感を放っているからだが。
なんにしろ猫は大して気にした様子もなく、ぴんと尻尾を立てると言い放った。
「あ、そう。じゃあこれからよろしく」
「え、あ、よろしくって、」
どういう意味なんだと、聞くまでもなく、すいっと野性味を見せつけるように目を眇めてみせた猫が告げてくる。
「僕、ここに住むことに決めたから」
「ええ?!」
一方的に、それにしては妙に決定的な言葉が告げられたような気がして、綱吉は思わず目を見開いて問いかけた。
「え、それってどういうこと?!つまり、オレが猫飼わなきゃいけないってこと?!」
「別に君に飼ってもらうとは言ってない。僕はここに住むけどね。でもそれだけだ」
こともなげにそれだけ言うと、猫は前脚からしなやかに身体を躍らせて荷物の上から退いた。
窓辺に降り立つと外を眺めている。
「・・・・はあ」
気の抜けた返事をしつつも、それが飼う事と、果たしてどう違うのかなどとは問いただせない雰囲気に、綱吉は押し
黙った。
一応宿主は自分で、許可を与えるべきは自分で、強気に出ていいのも多分自分。反論の権利だってあるはずだ、一
応。・・・・そのはずなのだが、とてもそれを主張できるような空気ではない。
「・・・・と、とりあえず、荷物片付けます、けど」
言いながらダンボールに手をかける。猫はいうことだけ言ってしまったらあとはもう関係がないとでも言うように欠伸を
している。
「ふうん。僕も好きにするから、君も好きにしたら」
そういわれてしまえばそうするしかない。
とりあえず新生活に向けて、荷物を片すべくダンボールの中身を整理していきながら。
「あ、名前、」
ふと、思いついて綱吉は猫を振り返った。
窓の外を見つめたままこちらを向きもしない猫に言いかける。
「なに?」
「名前、あるんですか?」
「・・・・あるけど。君に名乗る必要性を感じないな」
「まあそりゃそうですけど、一応一緒に暮らすなら不便じゃないですか?名前も知らないのって」
どう呼んだらいいのか分からないし、と綱吉が告げるのを猫はひと睨みする。
その表情は微妙に不機嫌そうにも見える。
「君、僕を呼ぶつもり?」
「え、そりゃあ、そういうこともあるかなって」
「ふうん。僕は別に君を呼ぶつもりはないけど。でも、君の名前なら知っている。そこの」
猫が前脚で、綱吉が解体しているダンボールを指差す。
「荷物に書いてあったからね」
「そうですか。じゃあ、なおさらオレだけが知らないのって不公平じゃないですか」
特別知りたいというわけではないが、名前があるなら聞いておいたほうが何かと便利だし、くらいの気持ちで綱吉は
言いかけた。
猫は猫らしくないしぐさで、溜息をついたようだ。ぼそりと答えてくる。
「・・・・雲雀恭弥」
猫にしては立派な名前だ。もっとも人語をしゃべる猫が猫と呼べるかは定かではないが、目の前で名乗ったそれの
外見は、やはり猫以外のなにものでもなかったが。
「ヒバリさん」
少し笑って綱吉が呼びかけると猫は一つ頷いた。
「うん」
「あ、じゃあさっそくですけど、ヒバリさん、部屋、どのあたりが欲しいです?スペース空けときますけど」
「どこでもいいよ。適当に住むから」
猫はそういうと、前脚で器用に窓の鍵を開け、窓を開け放つと外にさっさと出て行ってしまった。
「・・・・」
あとには開け放たれた窓と、中途半端に荷解きされたダンボールの集団だけが残る。
手を止めて、綱吉は困惑したまま視線を泳がせた。





考えてみたら、このアパートの扉を空けたあと自分の身に起こったことは、今更言うまでもないが、おかしなことばか
りだ。
しゃべる猫。すっかり受け入れている自分。
全てがおかしい。
このままあの、ヒバリと名乗った猫が帰ってこなかったら、あれは夢だったのだと錯覚してしまうほどには。
そして、そのほうがよほど現実的だと思えるほどには。
しかし、しばし呆然と放心した綱吉の口から漏れた言葉は、その思考と裏腹に、より現実的で、より日常的な問題で
あった。
「あ。そういえば。聞かなかったけど、ヒバリさん、ご飯とかトイレとか・・・・、どうするんだろう・・・・?」
猫用のトイレや食事など、当然ペットを飼う予定にはなかった綱吉は用意してきてなどいない。
というより、そういう問題ですらないから、それは間違いなく綱吉の現実逃避に他ならないのだろうが。
さらに、困ったような顔で綱吉は付け足した。
「猫なんだから大してスペースは要らないよね・・・・そういえばお風呂とか、オレが入れるのかな・・・・」
軽く青褪めながらも、綱吉は様々な不安材料と、様々な疑問点を頭の中で並べていく。
たくさんありすぎてもはや飽和状態だからだ。
まず、と綱吉は頭の中でより現実の尺度に合わせた部分から整理していく。
そう、まず。
自分の面倒でさえ見ることの苦手な綱吉に、猫の面倒などそうそう見れるとも思えない。
かといって外遊び?をしてきた猫を、汚れたまま部屋にはいられるのもどうなんだろう。
それよりは、あの妙にプライドの高そうな猫が素直に洗わせてくれるのかどうかも疑問だ。
人語を話すのも、非現実的なことには違いないが、幻聴にはとても聞こえなかったから、マジモノの猫かどうかも既に
怪しい。
それについては本人も否定済みだ。
バケモノかも、とも思ったりする。現実にそんなものがいるかどうかはともかくとして。
直感としては、悪いものではなさそうだし、それほどには面倒なものではないのかもしれないとも思うが、それをどこ
まで信じていいのかさえも分からない。
めまぐるしく変化するそんな疑問に頭を悩ませつつも。





綱吉は、はははと、力なく笑うと、それから小さく溜息をついた。





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