「・・・・うるさい」
唸るような声とともに、とても猫のものとは思えないような強烈な一撃が飛んできた。
「痛っ」
衝撃と同時に一気に覚醒し、自分がベッドから蹴り落とされたのを知覚する。
情けなく転げ落ちた綱吉に、ふん、と鼻息を投げて我が物顔でベットの隅を占拠している猫は身体を丸めて再び寝る
体勢に入ったようだ。
ちなみに葉の落ちる音でも起きると言うこの猫は、ことあるごとに寝言を漏らす綱吉の声に目覚め、寝起きの不機嫌
さ全開でベットの下に突き落としてくれる。
もうこの際、立場などどうでもいいから猫にベットを譲って、床に寝たいくらいの心境の綱吉だが、余分な布団など当
然用意してきていないし、例え一緒のベットで眠るのでなくても、寝言で起こせば何らかの制裁を加えられるのだろう から結果は変わりはしないだろう。
黒猫の小さな背中を眺めて、情けない声で一応主張してみる。
「ヒ、ヒバリさーん、一応宿主、オレだよね?!」
ヒバリは知らん振りを決め込んだようだ。
BLACK CAT LIFE
「今日から学校ですけど、ヒバリさんはどうします?」
入学式の朝、綱吉はヒバリに問いかけた。
外に行くなら行ってもらってもいいのだが、窓の鍵を開けっ放しで出て行かれても困る。
とられて困るようなものはないが、だからといって無防備に鍵が開いているのもどうかと思う。
それなら綱吉の外出とともに外に出てくれたほうがいい。あるいは綱吉の帰宅まで家にいてもらうかの2択なのだ
が。
けろりと猫は答えてくれた。
「ついていくに決まっているだろう」
「ええ?!来るんですか?!ていうか、普通学校は猫なんか連れて行っちゃいけないと思うんですけど!!」
だいたい決まってるって何でですか!!そんなこと今朝まで一言も言わなかったじゃないですか!!
朝からテンション高くツッコミを入れる綱吉である。
一方、朝は低血圧、寝起きは最悪で不機嫌気味なヒバリは、そんな綱吉を鬱陶しそうに一瞥した。
「うるさいな。僕は猫じゃない!僕が行くといったら行くんだよ」
「そ、そうですか・・・・」
ぎろ、と三白眼で睨んで凄まれ、綱吉は引きつりながらも頷く。
この猫が言い出したことを引っ込めるはずがないのは、この2日ほどの付き合いでも徐々に分かってきていたし、割と
すぐに鉄拳制裁に訴えるのも、そしてそれが猫の癖に生半可な人間などよりよほど攻撃力があるのも身を持って体 験していた。
つまり、怖い。
自分の体重の半分もないであろう猫を怖がるというのも変な話ではあるが、それを可能にさせるだけのものがこの猫
には確かにあった。
情けないと、言わば言え。だけど怖いもんは怖い。というのが綱吉の現在の心境である。
とはいえ、考えはまだ入学を果たしてもいない学校のほうへも向かう。
「・・・・成り行きで飼うことになった猫とはいえ、それを学校にまで連れて行ったらオレ、まずいんじゃ・・・・。新入生の
癖に生意気だって目をつけられたりするんじゃ・・・・!オレ、ただでさえ絡まれやすいのに!」
ぶつぶつと。
心の中でだけで愚痴ったつもりだった悲壮な呟きは、独り言として口から漏れていたようだ。
猫の見上げる視線とかち合って、綱吉はそれを悟る。
猫の視線に呆れたような色が混じっていたからだ。
猫は妙に人間らしい仕草で嘆息して見せた。
「逆だよ。僕は有名だからね。僕の宿主でいる限り、君は不良の類には絡まれないよ」
「え?」
それはどういう意味なのかと、聞こうとするより早く、猫はひらりと綱吉の肩に飛び乗ってきた。
たいした重みは感じない。制服ごしの肩に、爪の感触があるだけだ。
「ちょ、ヒバリさん、爪立てないでくださいよ!」
「もう行かないと遅刻だよ。入学式から遅刻なんて許されると思ってるの」
時計を確認して悲鳴を上げる。
気づいてないと思ってたんだよね、というヒバリの呟きにツッコミを入れる余裕さえなく、綱吉は慌てて家を飛び出し
た。
どうにも街行く人々の視線がおかしい気がする。
綱吉がそれに気づいたのは、家を出てから割りとすぐのことだった。
なぜか、綱吉のために道を明けてくれる。本来なら新入生をカモにしていそうな不良風の出で立ちの学生から、普通
のサラリーマンまでもが、だ。
「・・・・・?」
綱吉は困ったように首をかしげる。
誰もが綱吉と視線を合わせようとさえしないのだ。そそくさと逃げるように道を変える者さえいる。
「ね、ねえ、ヒバリさん、なんか様子がおかしくないですか?」
「・・・・そう?」
さすがに他にも人がいるからか、ヒバリは綱吉にだけやっと聞こえるくらいの小さな声で綱吉の問いに応じた。
「だってみんな、なんかオレと関わらないようにしてるみたいって言うか」
「・・・・そりゃ、僕がいるからなんじゃない?」
「え?」
綱吉は意味が分からずに再度首を傾げる。
ヒバリには悪いが、猫一匹肩に乗せていたからといって、少し風変わりな子供というだけであって、何か恐れられたり
するような対象にはならないはずだ。
ヒバリは確かに普通の猫からするとだいぶ規格外な気はするが、それは飼っている綱吉だから分かることであって、
他の無関係な人間にまで見ただけで看破されるような特殊なものは持っていない。
見た目は普通の猫だ。黒猫。他の固体と比べて、さして体格が大きいわけでもなく、唯一稀有ともいえる金の瞳も、
近づいて見ない限りはただの琥珀色にしか見えない。
「まあ、わからないならいいよ。どうせ今日中にはわかるしね」
じろじろとヒバリを観察する綱吉に、猫はどうでもよさそうにそう付け加えた。大きなあくびをしながら、前脚で間近に
迫っていた校門を示す。
「ほら、さっさと行きなよ」
よく分からないまま猫の声に急かされて、綱吉は慌てて学校の正門に向かって走り出す。
まだ門は閉まっていない。
とりあえず初日からの遅刻は免れそうだ。
校門に駆け込む寸前にヒバリは綱吉の肩から跳躍すると、正門の門柱に飛び乗った。
そのままひらりと身をかわして校内に走り去ってしまう。
「・・・・っ、ヒバリさんっ!どこ行くんですかああ?!」
学校につれてくるだけでも本来はまずいのに、どこかで騒ぎでも起こされたらもっとまずい。
何とか追いつこうと走る綱吉だが、もともと綱吉の鈍足に加えて土地勘のない校内では、ヒバリを捕まえることは愚
か追いつくことさえ困難だ。
ついには転んだ挙句に見失って、綱吉は深々と溜息をついた。
そうしてから、自分が果てしなく目立っていたことに気づく。
新入生。校門をくぐって誰かの名前を叫びながら追いかけて走ってこけて溜息。
一連の自分の行動と立場を思い出して綱吉は真っ赤になった。
あああああ。恥ずかしい。
ぐったりと項垂れる。
まさか呼んだのが猫の名前だとは誰も思ってはいないだろうし、ヒバリは素早く消えてしまったから校内で姿を見たも
のはほとんどいないかもしれないというのが救いといえば救いだといえた。
学校に猫を連れてくるのはやはりまずいことには違いないだろう。
この後ヒバリがどうするつもりか知らないが、綱吉に道案内までしてくれた猫は学校のことは詳しいようだったし、ほう
っておいても勝手に帰ってくるだろう。騒ぎを起こさないという保証はないが。
ヒバリのことはとりあえず今はそれで納得しておくことにして、と綱吉は考えを切り替える。
「なんだアイツ、馬鹿じゃね?一人で走って勝手に転んでやがんの」
いつのまにか集まっていたらしいギャラリーのそんな呟きとクスクス笑いが耳を打つ。
「・・・・」
ああ。ヒバリさんのせいでオレの平穏な学生生活が・・・・!!
心の中で呻く。
綱吉は慌てて起き上がると、ズボンの埃を落とし、1年生の教室、と案内が出ているほうに脱兎のごとく走り去った。
それからヒバリに会ったのは、入学式が終わり、各教室に入ってからだ。
どこから入ってきたのかSHRの行われる教室で、席についている綱吉を床から見上げてくる。
「にゃーあ」
普段家では絶対にやらない猫らしい鳴き声でなくと、ヒバリは綱吉の足元に擦り寄ってきた。
「ああ!ヒバリさんっ!どこいってたんですか!」
小声で話しかけながら手を伸ばすと、ヒバリはその手を踏み台にして綱吉の机に中に入り込んだ。
そこから綱吉を見上げてくる。
じっ、と見上げてくる金の瞳は美しい。
普段猫のように撫でたりするとヒバリさんは怒るけど、と思いながらも綱吉は手を伸ばした。
黒猫の頭をそうっと撫でてみる。しなやかな手触りを伝えてくる毛並みは想像していたよりもずっと柔らかいものだっ
た。
ヒバリは何も言わない。小さく欠伸をしただけだ。
「ヒバリ様の宿主は今年は誰だ?!」
HRの最後に担任教師から全員に向けて問われた言葉に、綱吉は一瞬思考を止めた。
「へ?何で先生がヒバリさん知ってんの?!」
机の中にいる猫に向かって、思わず、というようにツッコミを入れる。
猫は小声で囁いてきた。
「ほら、いいから手を上げる。君って本当に鈍くさいよね」
「オレ?」
綱吉はわけが分からないまま、頭の中に盛大にクエスチョンマークを描きながら手を上げる。
教師は一つ頷いてから、言ってきた。
「ほう。沢田か。よろしく頼んだぞ。後で職員室に来るようにな」
「ええー?!なんでー?!」
「うるさい」
本気でわけが分からず呻く綱吉にヒバリはまたもや小声で囁いた。
首をかしげながら言われたとおりに訪れた職員室で、綱吉は担任から一冊のノートを手渡された。
「これがお世話ノートだ。しっかりな」
ええ?!なにそれ!!
思わず、ガーン、となる綱吉だが、いつの間にか肩に乗っかっている黒猫はすまし顔でしっぽを揺らめかしているだけ
だ。
そしてその猫を見て、担任は笑顔だがわずかに顔が引きつっているのを綱吉は見逃さなかった。
その表情に見え隠れするのは恐怖だ。黒猫はそれこそどうでもよさそうではあったが。
「お、お世話ノートって何?!ていうか、ヒバリさんって一体なにものなんですか?!」
普通の猫じゃないっては思ってたけど!!思いっきり思ってはいたけど!!
内心色々と絶叫しながらも担任に問いかける。
もっともまともな答えが得られるとは思っていない。猫に怯えているのだとしたら、身の安全のためにもこの猫の前で
色々と説明してくれるとも思えないし、自分だってその立場ならそうする、というのが綱吉の見解だ。
そしてそれは予想通りではあったようだ。
担任は曖昧に笑って、付け足してきただけだ。
「くれぐれも失礼のないようにな」
家に帰ってから広げたノートには、歴代の飼い主による、ヒバリのお世話に関する注意事項のようなものがいくつか
記されていた。
ノートによると、どうやらヒバリは、常に並盛中学の学生の誰かのところに転がり込んで宿主にし、卒業とともにまた
入学した人間を宿主にしながら、ずっと並盛中にそして並盛の町の頂点に君臨してきた猫らしい。
そんな非常識な、というのが綱吉の第一の感想だ。
非常識ということなら、ヒバリの存在そのものが非常識ではあるが。
「ほら。僕は有名だって言ったろう」
綱吉は思わず沈黙して、まじまじとヒバリを観察する。
猫だ。黒い、綺麗な猫。綱吉はそれほど猫という生物をまじまじと観察したことも今までの人生においてなかったよう
にも思うが、だからといってそれを計算に入れてさえ、これほど綺麗な猫を見たことはないと思うくらいには、黒い艶や かな毛並みも、光を弾く金の瞳も、ぴんと伸びたひげのバランスでさえ、美しい猫だと思う。
力も強い。猫とは思えないほどの凶暴性と攻撃力で、綱吉を恐怖のどん底に突き落としてくれることは日常生活でも
ままあることだ。
性格は・・・・、どこまでも自分ルールで理不尽の塊だが、この猫はこの猫なりの筋を通しているのだ、と思うことも本
の時たまある。
もっとも単純にやりたいようにやっているだけだ、としか思えない局面のほうが多いことは否めないが。
・・・・以上のことから考えて、普通の猫の規格から大幅に外れていることは確かだ。
だからといってこの猫が、人間社会に影響を及ぼすほどの、そして街一つを恐怖の代名詞として取り仕切っているな
んて誰が想像するだろうか。
現実を目の前に突きつけられた綱吉でさえ、正直信じられないというのが本音だ。
綱吉は呻くように呟いた。
「つか・・・・、ヒバリさんって」
言葉の後は続かない。言おうとしていた言葉の端を突然に見失って、綱吉は唐突に口を噤んだ。
「僕をそこらにいる猫と一緒に考えてたんじゃないだろうね。僕はこの街の秩序だよ。表の世界も、もちろん裏の世界
もね」
猫はふん、と息をついてそんな綱吉を小ばかにするように視線で撫でる。
「・・・・それって猫社会のボスって意味じゃなくて、人間社会のボス、ですよね?」
恐る恐る、というように綱吉は問いかけた。
もしかしてとんでもないもののお世話を押し付けられたんじゃないだろうか、という発想が今更のように脳裏に閃いた
からだ。
当然のように猫は答えてくる。
「もちろん。僕は猫じゃないんだから、猫の世界なんか牛耳っても仕方がないじゃないか」
「・・・・猫じゃないって、それならヒバリさんはなんなんですか?」
綱吉はかねてからの疑問を問いかけてみる。
猫じゃない、とはこの猫の口癖のようなものではあるが、初めは綱吉は単純に猫扱いされたくないヒバリが、そのた
めだけにそういうのだと解釈していた。そういう意味でもヒバリは普通の猫でなどない。
だがもし、それが本当にそのままの意味だとして、だとしたらヒバリはなんだというのだろう。
「さあね」
ヒバリはふいっと視線をそらせた。
答える気はないようだ。それにしてはその顔はどこか困っているようにも見えて、綱吉はその横顔に手を伸ばした。
触れる瞬間に威嚇の視線を向けられて、綱吉はその手を止める。
学校では一度だけ許してくれたが、撫でられたり触られたりすることをこの猫は好まない。
仕方なくその手を下ろして、綱吉は広げたまま放置されていたノートをぱらぱらと読むというよりは眺めるようにしてめ
くった。
「今までいろんな人と暮らしてきたんですね。ヒバリさんは」
「つまらないやつばっかりだったよ。君は愉しませてくれるかな」
きらりと、金色の瞳が煌く。
それは間違いなく捕食者の瞳で、綱吉は座ったままわずかにあとずさった。
「ええー?!オレに何期待してるんですか?!絶対に!!オレはヒバリさんの期待になんか添えませんから!!」
武勇伝をいくつも持っていそうなヒバリと一緒にされたらかなわない。
冗談じゃない、と綱吉は内心絶叫する。
自分はただ平穏な学生生活を望む、ごくごく平凡な、そして標準よりダメ寄りな男子中学生に過ぎない。
もっともヒバリがいる以上、平穏な生活の何割かは、もう絶対に取り返せないものだと断言できるが。
問題はそれが全体の何割で済むかだ。
「別に期待はしてないよ。馬鹿な子」
そういって笑ったヒバリの笑みは、やはり最小の被害ではすみそうもないと綱吉に思わせるに十分なほど、不吉なも
のに綱吉には見えた。
ああ、と綱吉は、ヒバリに悟らせないように緩く溜息をつく。
グッバイ、オレの平穏な学生生活、と綱吉が思ったからといって誰が彼を責められようか。
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