家に帰ると、黒衣の赤ん坊が、手にヒバリの黄色い小鳥を遊ばせながら、青筋を立てて待っていた。
すっかり忘れていたが、今日は彼が訪問するはずの日だったらしい。
綱吉がその姿を認めてぴしりと固まる。
緊迫しきった空気の中、リボーンの小さく丸い手に乗る小鳥だけが、どこまでも平和に、そしてどこで覚えてきたの
か、綱吉でさえ完全には覚えきっていない並盛中学の校歌を歌い上げていた。
BLACK CAT LIFE
「わ、忘れてました。すみませんリボーンさん、ごめんなさいもうしません」
小鳥の歌をBGMに、平に平にご容赦願うため、謝り倒す綱吉である。
その理由は、リボーンが怖いからで、恐怖の対象は具体的にいうと、その暴力性と不法所持の拳銃だ。
「ったく、ヒバリがいねえからってたるんでるんじゃねえぞ、ダメツナが」
セリフの初めに、ち、と舌打ちしながらも、リボーンは呆れたように告げてくる。
綱吉は、はっと目を見開いて、リボーンに向けて低く低く下げていた頭をがばっと上げた。
ヒバリの名前が出たからだ。
綱吉はヒバリが不在だということを、リボーンにはまだ告げていない。
なのに知っている。ということは、ヒバリがどこで何をしているか、知っているのかもしれない。
そんな考えが、綱吉の、常日頃の鈍さからしたら稀に見る奇跡的スピードで閃いたからだ。
思いつくままを問いかける。
「リボーン、お前、もしかしてヒバリさんがどこに行ったか知ってるのか?!」
何気なさを装ったつもりだったというのに、声には隠そうとも隠しきれない焦るような色が滲んだからだろう。
リボーンは見上げるようにして、そんな綱吉の表情を見ると、嘆息しながら答えてきた。
「ヒバリの行き先なら、オレは知らねえぞ。だが、お前がヒバリの心配なんざ5年は早ええ」
「そりゃそうなんだけど!!」
言われるまでもない言葉には素直に同意しておく。
5年どころか一生分の時間を費やしても、あの黒猫には勝てないような気もするが。
というより勝つ気もない。同じレベルで張り合えるとは到底思えないからだ。
結局リボーンも知らないのか、と落胆した綱吉は、続くリボーンの言葉に顔を引きつらせた。
「そんなことよりお前、来週には試験が始まるんだろうが。ヒバリの心配より自分の心配をしておくんだな。学生の本
分はなんだ?今度ろくでもない点数を取ったら、ブッ殺」
「うわああああ!!」
続けられる予定であっただろう、物騒な言葉を悲鳴でかき消す。
聞こえない、聞こえない!!と暗示をかけてみる。
そうしてみたところで、リボーンは表情を少しも変えるわけではなかったし、綱吉にしたって、聞こえなかったはずの言
葉が本当に理解できていないはずもない。
がっくりと項垂れた綱吉の足元を、しっかりしろとでも言うように、げし、とリボーンの蹴りが見舞った。
「痛ってえぇー!!」
「さて、試験範囲はどこまで終わってる?全然終わってないなんて言ってみろ。今日は寝られると思うなよ」
そのまさかです。リボーン先生。
蹴りの痛みに涙目になりながらも、綱吉は賢明にも、そう即答することだけは避けた。
どうせすぐにバレることには違いなかったが。
寝られると思うなよ、とは今回に限り、とりあえずは脅し言葉だったようだった。
やるといったらやるのがリボーンだが、今回に限り、という制限つきで深夜から数時間の睡眠を許可してくれた。
あんまりな綱吉のダメっぷりに、リボーンのスパルタが発揮された後である。
ちなみにリボーンは今日は泊まって行く気らしい。
さっさと持参のパジャマに着替え、ハンモックを設置し始めた後姿に、こいつ初めから泊まるつもりだったな、と綱吉
は判断した。
それにツッコミを入れるのも面倒で、・・・・疲れ切っていたこともあるし、同じベッドに寝ると言い出されるよりはましだ
と思ったせいもあるが・・・・、綱吉は疲れた体をベッドに転がす。
眠りはすぐに訪れた。闇に意識が素早く沈んでいく。
今日は山本は部活で、獄寺は家の用があるのだと言っていた。だから1人。 指が鍵を探し当てる。それで鍵穴をガチャガチャやって、ドアを開けた。 ドアを閉めて今度は内側から鍵をかける。 ダイニングからぴちゃりと水音がして、綱吉は目を見張った。 誰もいないはずだ。鍵は閉まっていた。それなのに、気配がある。 伺うように覗いた、そこに。 ヒバリがいた。ダイニングで紅茶を飲んでいる。 舐めていると表現することが当然に見える仕草だが、ヒバリだと飲んでいると表現したくなるのは、この黒猫に人格 があると認識しているせいだろう。 誰が入れた紅茶だろうかと、考える。 今帰って来たばかりなのだから当然だが、綱吉ではない。 ・・・・では誰が。 だが、そんなことはどうでもよかった。考える端から放棄していく。どのみち、考えてみてわかる話でもない。 この常識外の猫のことだから、もしかすると、綱吉などよりはよほど上手に紅茶を入れたりできるのかもしれない。 猫という体のつくり上、どう考えても無理そうだが、いつだって無理なことを平然とやってのけるのがヒバリだ。 もっともそれは、デンジャラス方面に限った話ではあったが。 だが、今、そんなことはどうでもよかった。 そんなことよりも。 どこにいってたんですかとか、おかえりなさいとか。 言う言葉はいくらでもあるはずなのに、そのどれも言葉に出来ずに、綱吉は立ち尽くした。 黒猫は綱吉のほうを見ずに、何事か囁いている。 「お家が一番」 黒猫は、とんとん、と足を鳴らすように足を、乗っていたテーブルに軽くリズミカルに打ち付けた。 そうですよね、と綱吉は言いかけていた。 続いて零れた言葉は、確認するというわけでもなく、無意識に。 「ヒバリさんの家って、オレんちでしょう?!」 ヒバリが振り向く。 瞳の金色は、久ぶりに見る色だった。綺麗な色だ。 それほど長い間離れていたわけでもないのに、懐かしいとさえ思う。 猫は不機嫌そうに、綱吉を睨みあげるようにした。 「違うよ。僕に欲しいものなんて本当は何もないって、いつだか言ったろう。それと同じさ」 温度を失った声が、後を続ける。 「僕に本当の家なんて、どこを探したってありはしないのさ」 囁きは低く澄んでいた。そこに嘘がないからだろう。 それが寂しいことに感じられて、何を言っていいのか分からないまま、綱吉は口を開いた。 何が寂しいと感じるのだろう。 欲しいものがないと、ヒバリが言うからだ。 どこにも家がないと、帰る場所がないのだと彼が言うからだ。 1人きりだと、彼が思っているからだ。 ヒバリを家族のように感じるのだと言って、それはこの猫には、受け入れてもらえないものなのだろうか。 思うことさえ煩わしがられる、そういう種類のものでしかないのだろうか。 それでも綱吉にとってはヒバリは家族で、例えば綱吉が卒業するまでの数年であったとしても、ここを家だと思って欲 しいと思う。 伝えようと、言葉を探す。伝えなくてはと思う。伝わらないものなのだとしても。 「だけど、たとえそうだとしても、今はオレの家がヒバリさんの家です。だって、ずっとこの前まで住んでたじゃないです か」 ヒバリは興味なさそうに目を細めてみせた。 「そうだっけ?僕には今まで色んな宿主がいたからね。今が君だったかどうかなんて、いちいち覚えてないよ」 言うなりヒバリはテーブルを降りて、器用に爪先で窓を開けるとそこから外へと出て行ってしまう。 綱吉はそれを声もなく見送りながら、そんなものかもしれないと、そう思った。 思った瞬間は、淡々と、なのにそれは深く心に沈んだ。ヒバリの言葉も、それに納得できてしまう自分の思考さえ、心 に影を落としていく気がする。 意識が黒く沈む。 「おい、いい加減に起きねえと遅刻だぞ!!」 げし、と蹴り上げられてベッドから転がり落ちる。 なす術もなく床にぽてん、と転がりながら、綱吉は言われた言葉と、衝撃の意味を頭でゆっくりと咀嚼させて飲み下し た。 ぼんやりと寝ぼけたまま部屋を見渡す。 既に着替えの済んだリボーンが呆れたように見下ろしてきている。ヒバリはどこにもいない。 窓辺にとまる黄色い小鳥は忙しなくくちばしを動かして、羽根を繕っているようだ。 綱吉は目を見開いた。 つまり。 夢だったのだ、と理解する。 安心する。だというのに動機は早い。それに急かされるように、新たな不安が頭を擡げた。 夢が、その手触りさえ感じさせるほどには、リアルだったからだ。 もしかしたらヒバリさんは、オレのうちにいても、オレと一緒にいても、・・・・例えば誰といたのだとしても、そんな気持 ちを抱えたままなんだろうか。 夢は夢でしかないというのに。夢の中に真実があるとしたら。 その可能性を考えると、心が少しだけひやりとした風を通す。寂しい。 そのせいということでもなく、ひどく寒気がした。 「っへきしゅ」 綱吉はぶるりと体を震わせる。くしゃみがそれを追うように唇から零れた。 その直後、ぼさっとするんじゃねえ、さっさと着替えろ、という家庭教師様の怒声が部屋に響いたのだが。 すんすん、と綱吉は鼻をすすった。 今日はどうにも寒気がする。朝少し冷えたせいかもしれない。 今は昼休み、山本は野球部に呼ばれていき、獄寺は姉が訪ねてきたとかで、なぜか逃亡を図っている。 尋常ではないスピードと顔色で、駅に到着したという姉からのメールを受け取った途端に姿を消してしまった。 姉が訪ねてきたら逃亡、という照れにしては大げさすぎるその行動のメカニズムはよく分からない綱吉である。 海外から、1人で暮らしている弟のために、わざわざ学校が終わる頃会いに来てくれるという。 それなら、素直に会えばいいのに。 その程度の感想ではあるが、なんにせよ、さっさといなくなってしまった人間のことはどうしようもない。そんなわけ で、1人だ。 昼弁当を平らげたあたりから、忙しなく2人がいなくなり、取り残されてしまった。 机に頬杖をついて窓の外を眺めてみる。 今日は朝から雲が厚い。予報では夕方には雨が降るといっていた。 そういえば傘を持ってこなかったと今更のように思い出す。 ずびーっと鼻をすって、そのついでのように小さく溜息をついた。 今日もヒバリを校内では見かけていない。 山本と獄寺も昨日ヒバリを探してくれたと言っていたが、やはり黒猫の姿はどこにもなかったらしい。 突然現れて散々綱吉をビビらせ、その挙句にいなくなってしまった、猫。 今では、本当はあの猫と暮らしていた日々のほうが夢で、現状は単に目が覚めただけのことなのだと、そういわれた ほうが納得が行くような気さえしていた。 山本や獄寺までもが覚えているのでなければ、本当にそう錯覚してしまいそうだ。 夢ではない、それが確かなことであっても、だからといって、何が残っているわけでもない。 ヒバリが姿を消してしまうだけで、自分たちの間には何の繋がりも残っていないのだ。 帰ってこないのは、怪我をしたという可能性だけでなく、誰か他の人を気に入って、新たな宿主に選んだのかも知れ ないし、1人でも生きていけるヒバリのことだ、単純に綱吉を見限っただけのことかも知れない。 はふ、ともう一つ溜息をついた拍子に、ずる、とついに出てきた鼻水に綱吉は、朝鼻が同じような状態のときに獄寺 が、使ってください沢田さん!!と差し出してきたポケットティッシュを取り出して、ずるずると鼻をかむ。 空は鉛色だ。 雨も降りそうだし。昨日うっかり変な人にも会ったし。 今日はヒバリさんを探さずに真っ直ぐ帰ろうと、綱吉は思う。 本当にもしかしたら、今日こそひょこっと、帰ったらテーブルで紅茶を飲んでいたりするかもしれない。 夢の中の黒猫は綱吉の胸を少しだけ苦しくしたが、それでも帰ってきてくれるなら何でもいいやと思い直した。 夢で黒猫が歌うように囁いていた言葉が、脳裏を横切る。 かかとを鳴らして歌うように、なにかの呪文でも唱えるように、黒猫は囁いていた。 「お家が一番・・・・?」 聴き覚えがあるような、ないような、そんなフレーズだ。 思わずというように口に出して呟いたそれに、近くを歩いていた少女が大きな瞳を見開いて聞き返してきた。 「何?ツナくん」 声には、陽だまりのように明るく眩しい笑顔が添えられている。 「京子ちゃん」 京子ちゃん、可愛いなあ・・・・!! 京子ちゃんと話ができるなんてラッキー!! 憧れの少女に声をかけられ、一気に気分が急浮上する、現金な綱吉である。 「何かしゃべってた?」 クラスのアイドルでマドンナで、綱吉の天使ともいえる美少女の笑顔は本っ当に可愛い。 思わずほんわかと癒される綱吉だったが、にこりと問い返されて、呟いた言葉を思い出す。 独り言を聞かれてしまった恥ずかしさもあって、綱吉は頬を上気させ慌てて説明をした。 「あ、えーっと、お家が一番、って言葉、どこかで聞いたことがあるかなーっ、と思ってさ!なんか、呪文みたいな」 京子は明るい色の髪を揺らして首を傾げる。 顎に人差し指を当てるようにして考えている、そんな表情までどこまでも可愛かった。 少しそうしてから京子は思い出した!!というように、ぽん、と手を打ち合わせる。 「あ!それ、オズの魔法使いだよ!竜巻で飛ばされて帰れなくなって、それは物語の最後、元の世界に帰るための 呪文なの。銀の靴を履いて、踵を鳴らしてドロシーは唱えるの、お家が一番、って!」 にこっと笑った京子はやはり可愛くて、見とれるしかない。というか、ただ今綱吉は京子と話ができたことに絶賛感動 中だ。 でれりと頬の筋肉を緩める至福のひと時である。 「そっか!!ありがとう京子ちゃん」 さすが京子ちゃん、物知りー!! 色々と感動に忙しい綱吉だが、美少女ににっこりと笑って礼を言う。 彼女の笑みにつりあうような笑顔ではないことは、誰に言われるまでもなく綱吉自身が承知していたが、人は可愛い ものを前にすると自然と笑顔になるものだ。 そのまま笑顔で彼女を見送って、彼女の言葉を反芻する。 オズの魔法使い。 そういえば昔そんなタイトルの話を母親に読んでもらったことがあると、綱吉は思い出していた。 どのみち記憶力には情けないほど自信がない。 それでも一つ謎が解ければ、付随する記憶はそれなりに芋蔓式に出てくるものだ。 出てきたのは、女の子と、かかし、ブリキの人と、ライオン、思い出せた登場人物はそんなものだ。 女の子はテキサスに帰りたくて、かかしは頭脳を、ブリキの人は心が、ライオンは勇気が欲しくて、それらを叶えても らいに魔法使いに会いに行くとか何とか。 それでも、あのかかしもライオンもブリキの人も、それと気づいていないだけで、もう既に自分の中に欲しいと願うもの を持っていた。 自分の中に最初からあるといわれたとしても、それらは見下ろしたそこに、形をもって見えるものではありはしない。 だから不安になる。見えないものは、無いことと同じようにしか感じられないからだ。 だから人はありもしないものの形を求める。安心していたいからだ。 ないように思えても実際は既に存在しているものがあるというのなら、あるように思えても本当は最初から、どこにも ありはしないものだってないだろうか。 あの猫も、初めから存在など無かったかのように消えてしまった。 あの恐怖の日々こそが夢であったかのように。 あると思ったのに、実際には最初からないもの。ないと思えても、確実にそこにあるもの。 あの猫がもしもそんなものだったとしたなら、そのどちらであったのだろう。 夕方には雨がぱらぱらと降ってきた。 空は薄暗いグレーだ。綱吉は空を見上げた。 「っくし!!」 背筋を這い上がるゾクゾクとした寒気に、体を震わせてから綱吉は盛大にくしゃみをした。 その勢いでずび、と出た鼻水をティッシュで拭きながら校門を出る。 予定通り今日は寄り道をせずに真っ直ぐ自宅に帰ることにした。なんだか体調もよくない。 段々暗くなる空に、降りだされては大変と急ぎ足で自宅を目指す。 ぽつぽつと降り出したのは、学校から自宅までの道程の半分ほどを歩いてきたところだった。 降りはじめた途端に一気に雨足が速くなり、頭上から大粒の雨が降り注ぐ。 うわわ。降ってきちゃったよ!! 視界を手で庇って確保しながら駆け出した。 雨は降り止まない。 そのとき。 ぽて、と綱吉の頭上に何かが落ちてきた。 雨の雫よりは大きく、あの黒猫というには小さい。 反射的に頭上に手をやる。手が触れたのは。 濡れて冷えた毛玉だった。 毛玉には心当たりがある。綱吉はそれをそっと手で包み込むようにして頭の上から下ろした。 ヒバリの黄色い小鳥だ。 「なんだよお前、羽根が濡れて落ちちゃったのか」 冷えているのは体の表面だけらしく、内側の羽は乾いていて暖かい。 つまり濡れて飛べなくなっただけだろうと判断する。 それ以外は特別弱っているわけでもないらしく、綱吉の手の中できょときょとと周囲を見渡している。 「もうちょっとでつくから、おとなしくしてろよ」 まちがってもそこでフンとかするなよ、と言いながら、制服のポケットに小鳥を入れる。 それからもう一度家に向かって駆け出した。 家の前は、屋根の影に入っていて雨宿りができる。 そこで雨を凌ぎながら、ポケットから小鳥を出すと、残っていたティッシュで濡れた羽根を拭いてやる。 水分さえ取れればそのうち乾いて、また飛べるようになるだろう。 小鳥が綱吉に、まん丸の瞳を向けた。 平坦な声で、言う。 「ヒバリ、カエル。ツナヨシ、ヒバリ、カエル」 「ええ?!」 オレの名前とかヒバリさんの名前とか、どこで覚えてきたんだよ!!もしかしてヒバリさんが教えてんのか?! それともリボーンなのか。 いや、そんなことはどうでもいいんだって。 綱吉は小鳥のメッセージに目を見開く。 「ヒバリさん、帰ってくるんだ・・・・」 ほっと息をついて呟いた。 気が緩んだということでもなく、ほっとした拍子に体の力が抜けるのを感じる。 くたくた、とその場に崩れそうになって、綱吉は自分の体がひどくだるいことに気づいた。 とにかく家に入ろうと、鍵を探そうとして、綱吉は、げ、と呻いた。 「っあー!!鍵、学校に忘れた・・・・っ!!」 つか、鞄ごと置いてきた!! 普通、学校に鞄忘れるとかありえねーよ!! あんまりな失態に、頭を抱えて思わずガーンとなる綱吉である。 どこまでドジっ子なんだよオレ!!とツッコミを入れてみるが、それで解決するわけでもない。 一頻り落ち込んでから、軽く溜息をつく。仕方がない。 「取りに、」 いくか、と呟きかけて、視界に入れた屋根の外は、雨がざあざあと激しく打ち付けている。傘は家の中だ。 困った。綱吉はずるずると家の前に座り込んだ。 体が重い。信じられないくらいに視界が暗い。この感じはヤバい気がする。 今更のように、くらくらと眩暈が襲ってきて、綱吉は軽く目をつぶった。 もういいや。この際少しくらいの恥は忍んで、少し休んで落ち着いたら、大家さんに合鍵を貸してもらおう。 「ちょっとお前、そこにいて」 手の中の小鳥を郵便ポストの上に落ち着かせる。 「つかお前の名前とかそろそろ考えたほうがいいよな」 さすがにいつまでも名無しってどうだろう。 ちょんちょんと小鳥の頭を撫でながら、思いついて呟いてみる。 つけるなら、一応は飼い主であるヒバリが名づけたほうがいいだろうが。 勝手に変な名前つけたら何言われるかわからないし。でもヒバリさんのことだから意外にも、好きにしなよ、とかあっ さり言われそうな気もする。 そんなことをつらつらと考えながら、空を見上げるようにした。 雨は止みそうにない。それどころか、小降りになりそうにさえない。 ヒバリさんは猫だから、この鳥みたいに濡れると即座に動けなくなることはないにしても、体が冷えたら動けなくなる んじゃないかな。 怪我、してなきゃいいけど。本当にどこで何をしてきたんだろう。 考えながらも、少し目を閉じると強烈な眠気が襲ってきて、綱吉はそれを振り払うように顔を横に振った。 早く鍵を借りてきて家に入ったほうがいいと、頭では考えるのに、眩暈はひどく、もう立ち上がることはできそうもなか った。 「・・・・お家が、一番」 呟いてみる。 そうだよ、家が一番なんだ。色々、他に楽しいところもいっぱいあるし、学校も悪くないんだけど、それでも。 結局、家が一番いい。それ以上なんてない。最上級で、だから一番だ。 ほわほわと現実味が飛ぶくらいには、薄暗く閉ざされてきた視界の隅で、小鳥がくちばしを開くのが見える。 「オウチ、イチバン」 綱吉の言葉を真似て言われたその言葉に、綱吉はもう一度呟いた。 「お家が一番」 「オウチガイチバン」 今度こそ正しく小鳥は同じ言葉を返してくる。 それが可愛くて、綱吉は少しだけ笑った。目蓋を開けているのさえ億劫で、そのまま瞳を閉ざす。 小鳥は単に教えられた言葉を繰り返しただけのことであろうが、この小鳥も同じように思っていてくれたらいいと、思っ たからだ。 できることなら、あの黒猫も。 ・・・・同じように思ってくれていたらいいのに。 「・・・・君、こんなところでなにやってんのさ」 あっけないくらいに平然とかけられた声に、それがこの数日捜し求めていた声だとぼんやりと認識しながらも、綱吉は うずくまったまま、うっすらと瞳を開いた。 「ヒバリさん、」 黒猫は視界に入らない。どこですか、と呼びかけながら手を伸ばした。 声がどちらから聞こえてきたのかさえ判断できずに、適当に見当をつけて伸ばした手は宙を掻く。 「綱吉?」 声はすぐ近くで聞こえた。耳元。 いつものように肩にかかる重み。肩にヒバリが飛び乗ってくるということは、つまり元気だということだ。 怪我をしたヒバリは肩には乗ってこない。 それを思い出して、綱吉はふんわりと笑顔になった。 ヒバリさんヒバリさん、と呟くように囁きかける。 傍から見ると妙に上機嫌に見える。ヒバリは人間じみた仕草で眉根を寄せた。 「ヒバリさんのお家ってどこですか?」 「は?!君何言ってんの?」 意味が分からないと、ヒバリの眉が更に寄る。 一瞬かなり本気で、殴るか?、とも考えるが思いとどまる。どうにも、綱吉の様子がおかしい。 「ヒバリさんにとっても、ちゃんと、ここがお家ですか?」 綱吉は相変わらず、にこにこと何かが壊れたように上機嫌だ。子供のように無邪気な笑みを見せて、ヒバリにとって は理解できない質問を続ける。 その頬が赤い。そう気がついてみてみれば、耳も、唇も、不自然なほど赤い。 はっとしてヒバリは、ぺしと前足を綱吉の額に押し当てた。 肉球付きのそれで、およそ平熱とするには高すぎる体温を感じて目を見開く。 「君、熱いよ。熱があるんじゃない」 「お家が一番ですよ、うん、絶対そうです」 うわごとのように呟く綱吉の唇は紅でも引いたように綺麗な赤で、顔全体がほんのりピンクだ。瞳はもう完全に焦点 が合っていない。 「綱吉?」 呼びかけた途端、ぎゅうと抱きしめられて、ヒバリは大いに慌てた。 さすがに病人相手に鉄拳をお見舞いするわけにもいかず、されるがままだ。 綱吉はヒバリの毛並みに顔を埋めて、意識さえ怪しそうだ。思わず舌打ちをするヒバリである。 全くこの子は、一人にしておくと自己管理一つまともにできないのか。 ふつふつと怒りが湧き起こってくるのに任せ、綱吉が完治したなら絶対に一発は入れる、と心に誓っておく。 「おい、ツナ?!」 後ろから声がかかった。気配は察していたからヒバリは振り向きはしなかった。 リボーンと、ディーノだ。声はディーノのものだろう。 綱吉のただならない様子に駆け寄ってきた気配はあったが、ヒバリを抱きしめたまま機能停止している綱吉に、なん とはなしに手を出せずにいるらしい。 ヒバリは溜息をつく。 綱吉はヒバリを腕に収めたまま、熱のせいで熱い吐息を浅く忙しなく吐き出しながら、うつらうつらとしているようだ。 だから何を言おうと、もう聞こえてはいないだろう。 おそらくは、意識の隅にさえ引っかからないのには違いない。 それでも、殴れもせず、されるがまま腕につかまって振り払えもしないこの状況で、せめてもの抵抗とでも言うように ヒバリは怒声を上げた。 「熱があるくせに何で外にいるのさ!君、いい加減、本当に馬鹿なんじゃないの」 怒鳴りつける。 そのくらいしか、この現状での抵抗手段が思いつかない。聞こえてはいないだろうと分かっていてもだ。 後ろに佇むディーノの肩に乗ったリボーンが、ぽつりと言いかけてきた。 「なあヒバリ、一つ聞いていいか?」 「・・・・なんだい、赤ん坊」 リボーンの声は、呆れとからかいを含んで続く。 「そいつ、いつからお前にそんなに懐いていやがるんだ?」 「そんなもの、僕が知るわけないだろう!」 とりあえず、投げ捨てるように怒鳴っておく。そのくらいしか、もうどうにもならない。 |