そのうち咬み殺そう。
そう思っていた沢田綱吉を、思っていたより早くに応接室に呼び出す事態になったのは、雲雀にとっても完全に予想
外の出来事だった。
もっともそれは、自分から招き入れたことでもあったが。
クローズユアアイズ
遅刻者の生徒手帳は風紀委員によって校門前で没収される。
その後、ペナルティーを表記した上で、担任教師から朝のHRで持ち主に返されるのが普通だ。
その一つを雲雀は取り上げた。
持ち主の名前は、先日から少しばかり気になっていた人物のものだ。
・・・・まあ、別にこんなに早くでなくても良かったんだけど。
呟きは胸の中にだけこぼしておく。後は淡々と業務連絡を告げた。
「これは僕が直接返すから。放送かけといて。応接室にいる」
雲雀にとって問題のありすぎる人間や興味のある人間は、良くこの方法で呼び出されてそれなりの報復を受けるか
ら、風紀委員にとっても雲雀のこんな指示は特別異例のものではない。
沢田綱吉に対する同情か、哀れみか、少しばかり目を眇めた草壁を雲雀は見ないふりをした。
他の風紀委員は雲雀にとって、手足に過ぎない。是、と答えることしか求められてはいないし、そうでないならば雲雀
にとっての彼らは存在価値はない。
彼らももちろん、それはわかっているはずだ。
振り返りはしなかったが彼らがいつもどおりの返事を返してきたことを確認するまでもなく背中で聞いて、雲雀はその
まま応接室に向かった。
呼び出してみたからといって特別用件があるわけでもないが、少しばかり話をして見るのも悪くはないのかもしれな
い。
無駄話を好む性分ではないが、気に入らなければ殴ってもいいのだし、と思いながら雲雀は学ランのポケットに押し
込んでいた綱吉の生徒手帳を取り出して、見るともなくぱらぱらとページをめくった。
校内放送が流れる。先ほど頼んでおいたものだ。
それを聞いて青褪めるだろう綱吉の顔が見たことがあるわけでもない、というかそれほどに親しいわけでもないという
のにふと頭に浮かんで、雲雀は愉しそうに応接室のドアを開いた。
「し、失礼します」
ノックとやや緊張した声がドアの外から聞こえたのは、雲雀が応接室にて書類整理を始めてから間もないころだ。
やや遠慮がちにドアが開かれる。
想像通りのやや青褪めた綱吉の顔が現れて、雲雀は少しだけ笑ってみせた。
「やあ。また会ったね」
「あはは・・・・こ、こんにちは」
この状況でまた会ったもないものだが、綱吉は心底怯えきった表情で口元だけが奇妙にお愛想笑いを浮かべてい
る。
草食動物。
綱吉に対する雲雀の第一印象は、やはりそれでしかない。
この綱吉が、雲雀を例えば一度のまぐれであったとしても殴ったと聞いたら、風紀委員はもちろん誰もが、そして今に
して思うなら自分でさえも、信じられないかもしれないと雲雀は思った。
だが、現実は現実だ。そこを間違うほど雲雀は甘い男ではなかった。
そして、これはただの勘でしかないが、何度勝負を挑んだとしても、冗談でボコるくらいなら問題ないだろうが、真剣
勝負ともなれば、一見しただけなら弱いとしか見えない、その実強いのが弱いのかよく分からない、この草食動物が 勝つような気がするのだ。
それは雲雀にとってあまり面白い話ではない。
「ふうん。今日は群れてないんだね」
おそるおそる、と言った様子でこちらを伺う綱吉に、とりあえず雲雀は一見してすぐ分かる状況を指摘した。
さしたる意味はない確認だ。
綱吉にとってなら、助けてくれる人間がいないということにはなるから、十分意味はあるのかもしれなかったが。
それでも雲雀を相手に、その助っ人たちが綱吉を助け出せるとは思えないから、怪我人がさらに何人か増えるだけだ
といえばそれだけのことだ。
綱吉のほうでもそれを見越して、わざと連れてこなかったのかもしれない。
雲雀にとってはどうでもいいことではあったが。
「は、はい」
綱吉は大きな瞳を落ち着きなく動かして、こくりと小さく頷いた。
あえて促すように少しの沈黙をあけると、綱吉は困ったように告げてきた。
「それで、あの、オレの生徒手帳・・・・、委員長が持ってるって担任から、」
「うん。持ってる」
だからどうするということは提案せずに雲雀はあえて単語で答えた。
「あの、返してもらえますか?」
そういわれて始めて対処法について雲雀は考える。ただ返すだけでは面白くない。
それならわざわざここに呼び出す必要などなかったのだ。
書類に滑らせていたペンを止めて、学ランのポケットから綱吉の生徒手帳を取り出してページを開く。
「そうだね。君次第だね」
遅刻があったことを、生徒手帳の生活指導欄ペナルティーに書き加えながら告げると、嫌な予感にか、顔を何度か引
きつらせた綱吉が聞き返してきた。
「オ、オレ次第といいますと?」
「僕から取ってみなよ」
ちら、と生徒手帳の表紙の部分を綱吉に見えるように示してやる。それから雲雀は机に上にそれを無造作に放った。
「ここに置いてある、取れば?」
取れば、といわれて簡単に取れるとは綱吉のほうでも思ってはいないのだろう、椅子から立ち上がった雲雀を怯えた
瞳で捉え、確認するように呻く。
「妨害とか、」
「するに決まってるでしょ」
いいながら、雲雀が愛用のトンファーを取り出して構えると、綱吉は心の中で何事か突っ込みでもしているのか白目
をむいてあとずさったまま硬直している。
わざと笑いかけて優しい声で聞いてみた。
「どうしたの?君のものだけど、いらないのかい?」
「い、いります」
まあそうだろうね、と雲雀は呟く。
机の上におそるおそる伸ばされる綱吉の手を、構えたトンファーで押さえつけて体重をかけながら、綱吉との距離を
詰める。綱吉は痛みに顔を顰めたが、攻撃らしい攻撃はしてこない。
それがひどくつまらないことのように思えて、雲雀は綱吉の首を閉めるように彼の制服のネクタイをつかんだ。
細い首だと思う。このまま締め上げるだけで綱吉は容易く絶命する。
少しだけ力を込めて締め上げると、綱吉は顔をゆがめてネクタイの輪を緩めようと、トンファーで押さえつけられていな
いほうの手を首にやった。
有効な抵抗とはいえない。そう雲雀はどこか冷静に評価した。
どうしたって及第点はやれそうにない。
もっと簡単に、急所を最低限庇いながら、この前のようにでも雲雀を殴ればいいのだ。雲雀のほうでも簡単に殴られ
るつもりはないが、そうすることで逃げる隙くらいはできるかもしれないというのに。
綱吉が自分に対して牙を剥いてはこないことが、つまらないを通り越していい加減不快になってきて、雲雀は締め上
げる力をわずかに緩めた。
苦痛に閉ざされていた綱吉の瞳が開くのを待って、雲雀は顔をゆっくり近づけて囁いた。
「ねえ、君、僕の下僕になりなよ」
こう言う言い方をすれば少なくとも本気の抵抗か、攻撃に出てくるだろう。
そんな思いが雲雀に口にさせた言葉だ。
例えば予想通りにはならなかったとしても、綱吉がその呼びかけにどう答えるのか、それにも興味があった。
雲雀は綱吉を下僕にしたいわけではなかったが、その質問と回答のみが重要であるように思う。
綱吉は一瞬目を見開いて、それから硬く目を瞑って首をぶんぶんと左右に強く振った。
・・・・弱いくせに、下僕にはならないという。
予想の範囲であったその回答が、そこが他の草食動物と綱吉の違いだと、ふいに分かりきっていたことを見せ付けら
れたような気になって、雲雀は緩く息をついた。
その吐息にでさえ、綱吉はびくびくと震えてみせる。首にかけた力は締め上げる強さは緩めたままだが、完全には抜
かれていない。
苦しさからか綱吉の瞳に、涙の膜が張るのを静かに見やって、雲雀はもう一つ問いかけた。
「きみは弱いんだよね?なのに逆らうんだ?」
さっきの質問と違うのは、回答を必要とはしていないことだ。
どう答えようと、例えば答えは返らなくても、それに雲雀は興味があるわけではなかった。
ただ聞いてみただけだ。答えをYESにされても、NOにされても、対応を変える気はない。
念のため数秒待つ。綱吉の見開かれた瞳が、ただ揺れるだけなのにもすぐに飽きた。
一発だけ殴りつける。
天性の運動能力のなさなのか、はたまた別に理由からか、雲雀の目から見て有効だといえる抵抗も防御もみせない
まま、綱吉は情けないくらいの悲鳴を上げて壁に叩きつけられ、その場に崩れ落ちた。
打たれた場所と打ち付けた場所に手をやりながら、ゆっくりと起き上がる綱吉を確認しながら、雲雀は机の上から、
結局は綱吉の手が触れることもなかった生徒手帳を取り上げて、綱吉に向けて投げた。
ぶつける意図があったわけでもないから、たいした力ででもない。
生徒手帳は放物線を描いて、綱吉の足元に綺麗に着地した。
「つまらない。もういいよ、それ、もっていけば」
言うなりもう興味はなくなったと言わんばかりに、椅子に座って机に向かう。綱吉の入室前と同じように書類をめくっ
て、ペンを手に取った。
それを確認して綱吉は目を瞬いたようだった。
おそらくはこの程度で開放してもらえるとは思わなかったのだろう。
その表情にやや、ほっとしたような種類のものが混じることも気に入らなかったが、あえて雲雀は見て見ぬふりをし
た。
「失礼しました」
しばらくすると声が聞こえて、ドアが閉められる音がした。足音が遠ざかっていく。
それを聞くともなく聞きながら、雲雀は意識せず詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
|