雲雀が退院してきた。
綱吉はそれを知ったのは、当然本人に聞いたからでもなく、その鳥を校内で見かけたからだ。


クローズユアアイズ





雲雀は応接室で革張りのソファーに腰掛けて、ぱらぱらと、届けられていた書類のページをめくっていた。
少し学校を離れていたせいか仕事は思いの外溜まっている。

ノックの音が控えめに響いたのはそのときだ。
ドアの向こうの、覚えのある気配に雲雀は眉を寄せる。
ノックはしてきたものの入室してくる様子のない気配に、雲雀は仕方なく声をかけた。

「入りなよ」

ドアが開いて、顔を覗かせたのは沢田綱吉だ。

「おはようございます」

「うん」

雲雀が一つ頷いてみせると、綱吉は部屋の入り口から数歩進んで立ち止まり、雲雀に向けて手のひらに乗った小さ
な黄色い小鳥を差し出した。

「この鳥。迷子になってたんです。ヒバリさんの名前を呼んでたから連れてきちゃいました」

「そう」

これにも特にどうということもなく、雲雀は一つ頷いて見せただけだ。

小鳥は雲雀を認めると綱吉の手から小さな羽音を立てて羽ばたいて、雲雀の肩に着地した。

それを微笑ましそうに見守って、それから改めて自分が危険区域にいることを思い出したように、雲雀の様子を伺い
ながら、じゃオレはこれで、とそそくさと踵を返しかけた綱吉の背中を、雲雀は肩を掴む事で引き止める。

「ぎゃ!な、なんですか?ヒバリさん」

なにやら悲鳴らしきものを上げつつも振り返る綱吉に、雲雀は手にしていた書類をデスクに置いてから言いかけた。

「せっかくだから、お茶でも飲んでいきなよ」

「いやいや、オレ、授業が、」

「うん。あとで教師には言っておくよ」

こともなげに雲雀はそう告げた。
教師でさえ、この風紀委員長には逆らえはしない。要するに強制的なお誘いだ、ということに気づいた綱吉は顔を引
きつらせる。

そうだった。この人の命令に拒否権はないんだった。

今更のように思い出した綱吉は、はい、と小さな声で諦めたように頷いた。

それを満足げに見やって、ソファーに座るように促す。

失礼します、と呟きながらおずおずと腰掛ける綱吉を確認してから、雲雀は応接室に備え付けられた茶器で紅茶を入
れた。

「熱いから注意して」

「あ、ありがとうございます・・・・」

こっ・・・・怖ええええ!!!!つかオレ、なにしてんの?!ヒバリさんにお茶とか入れさせちゃって大丈夫なの?!
オレの身の安全!

置かれたティーカップに引きつった笑顔で頭を下げながら、綱吉は内心で絶叫した。

優しい雲雀恭弥。それほど怖いものもこの世にない気がする。
なにか裏があるんだろうか、と考えてみても、この並盛最強の肉食獣が、綱吉に優しくして得るものというのもそれこ
そ想像がつかない。自分がこの人にとって価値があるような何かを持っているとは思えないし、とつらつらと考えなが
らも、綱吉は雲雀の様子を伺った。

向かいのソファーに腰掛けた雲雀は優雅な仕草でティーカップを口に運んでいる。

・・・・オレはなんて綺麗な人を見ているんだろう。

一瞬だけ、見とれる。

その瞬間が一瞬ですんだのは、綱吉の視線に気づいたのだろう雲雀が顔を上げたからだ。
綱吉は慌てて視線を逸らせて、誤魔化すように、目の前に置かれたティーカップを手に取った。
カップ越しの指先で温度を確認して、もう飲める温度かと思う。
一口、口に含んで。

「あ、すごくおいしい、・・・・です」

思わずというように漏れた綱吉の言葉に、雲雀は機嫌よさそうに目を細めた。

その雲雀がテーブルにわずかに身を乗り出すようにして口を開く。

「ねえ、一つ聞いていいかな。きみは僕を、どんな人間だと認識する?」

綱吉にとって自分はどう映っているのだろうか。
それを綱吉本人に聞くことで、自分が綱吉を写す鏡としようとするように、雲雀は問いかけた。

「っえ?」

いきなりの予想もしなかった質問に瞠目した綱吉に雲雀は静かに告げる。

「正直に答えないと、咬み殺すから」

「ええええと、ちょっと待ってください!!てかいきなりなに言っちゃってんのー?!この人ー!」

慌てふためいて、頭に両手を当てて叫ぶ綱吉を雲雀は黙って見つめた。

その無言の圧力に耐えかねたように、綱吉は、あーとかうーとか呻きながらも答えを探しているらしい。

ふと、綱吉の視線が、雲雀の頭に居場所を落ち着けた小鳥にとまる。
わずかばかり穏やかな表情になって、綱吉は口を開いた。

「この鳥が懐いてるくらいだから、ヒバリさんって本当は怖い人じゃなくて、」

「それ以上は言わないほうがいいよ」

言いかけた綱吉の答えは、綱吉にしてはない知恵を絞って、雲雀の不機嫌を避けようと、かといって当の雲雀がどん
な答えを望んでいるのか分からないだけに困るものではあったのだが、とにかく会心の作であったにもかかわらず、
雲雀の気には召さなかったらしい。

不機嫌に告げられた言葉と、雲雀の手の中にいつの間にか握られている愛用のトンファーに、綱吉はびくんと体を強
張らせた。

「は、はひ!」

さっき正直に言えって言ったくせに!綱吉は内心悲鳴を上げる。

目をぎゅっと閉じて殴られることに備えた綱吉だが、雲雀はそのつもりはないのか、手にしたトンファーを手持ち無沙
汰に撫でてみたりしながら、それから眉を寄せて少し困ったような視線で問いかけてきた。

「きみはさ・・・・、きみは、僕をなんだと思っているの」

この視線には覚えがあると綱吉は思う。

子供が、親しい人間に縋るような、とそこまで考えて、うちのチビたちのそれだ、と不意に綱吉は思い当たる。
拗ねたような、照れたような。素直にそれを言いたくないから、故意に不本意を装う。

つまり、雲雀は分かりにくいことこの上ないが、不機嫌なわけではないのかもしれない。
それならば、とりあえず正直に直球で答えればいいかと綱吉は、ヒバリさんは、と口の中で呟きながら、頭に言葉を
組み立てていく。

少し怖くて、でもかっこよくて。最強で孤高で。
でもそれがほんの少し、例えば今みたいな瞬間には、寂しいんじゃないかと思うことがあるのだといったら、やはり雲
雀に咬み殺されるのだろうか。

「オレは、うまくいえませんけど、ヒバリさんは本当のこというとちょっぴり怖いけど、最強で孤高でかっこいい人だと思
います。だけど、ヒバリさんは、怖い人でいたいんですか?」

ふと、思いついて聞いてみた。

「それはどういう意味だい?」

「ヒバリさんの言う、咬み殺すって、どんな意味なんですか?」

眉を寄せて問い返してきた雲雀に、質問に質問で返すのは反則かも、と思いながらも綱吉は少し疑問に思うその言
葉の意味を聞いてみる。不思議と、殴られるかも知れない、という恐怖は今を限定にか、なくなっていた。

「意味は言葉だ。そのままだよ」

「その、相手が嫌い、だからですか?」

「別に。そういうわけでもない・・・・こともあるよ」

「もしかしてただ気分ですか?」

「そうとも言うね。そうでない場合もあるけど。僕にはそれほど強い執着がないから」

「・・・・?」

首を傾げた綱吉に、雲雀は淡々と解説する。

「わからないかい?嫌いって感情はそれなりには強い感情だろう?違う角度から見れば執着にもなるね」

「ああ!」

「僕には多分、そういうものがなくて、だけどそのぶん殺意だけが強くここに残る」

ここ、といいながら雲雀は自分の左胸を示した。

「だから我慢できないものを見ると、咬み殺したいとだけ思うのさ」

「オレのこともですか?」

自分のこともきっと雲雀にとっては我慢できないものだろう、そう思う綱吉はそう問いかけた。

弱いし、泣くし、しょっちゅう群れているし、と雲雀が嫌いな要素を思い浮かべる。
だからそれに対する雲雀の回答は予想外なものだった。

「そうだね。多分、・・・・でも、君だけは分からない」

言い淀むようにして、雲雀は言う。

その意図が分からずに綱吉は首をかしげた。分からないとはどういう意味なのか。
それでもそれを雲雀に聞くのは躊躇われた。
言った雲雀こそが、その意味を決めかねているように綱吉には見えたからだ。

沈黙を重く感じながら、とっくに冷め切った紅茶に手を伸ばそうと、伸ばされた綱吉の手を雲雀がつかむ。

「ヒッ、ヒヒヒヒバリさん?!」

驚いて裏返った声を上げた綱吉を気にした様子もなく、雲雀は綱吉のその手を引いた。

「沢田綱吉。ちょっと付き合いなよ」





ずるずると綱吉は雲雀に引き寄せられて、テーブルを飛び越えて雲雀の座るソファーに腰掛けた途端、腰に腕を回さ
れる。

膝に乗った雲雀の整った顔を見下ろして、綱吉は慌てて引き剥がそうとしたが、動いたら咬み殺すよ、という雲雀の
言葉にかちん、と固まって姿勢を正した。

これ、膝枕なんじゃ、と綱吉は顔を青褪めさせる。

綱吉が引き寄せられた拍子に、雲雀の肩から飛び立った鳥は執務机の上に降り立ち、日当たりのいいそこで眠るよ
うに目を閉じていた。

「あ、あの、ヒ、ヒバリさん?!」

何か意味があるんだろうか、と本気で思う。眠いとか、具合が悪いとか、そういえばこの人、最近退院したばかりなん
じゃ、と思い当たって綱吉は慌てて問いかけた。

「体調でも悪いんですか?!」

それには答えない雲雀は、手を伸ばして綱吉の顔を引き寄せると、沈黙したまま視線を合わせた。

「あ、あの・・・・?」

かなり苦しい姿勢だというのに、文句ひとつ言えそうな空気ではない。

それでも雲雀に綱吉を痛めつける意図はないように思う。もし雲雀のほうにそのつもりがあるならば、こんなまどろっ
こしいことをせずに殴り倒されているだろうし、細い切れ長の雲雀の瞳は、ひどく静かな色をしていた。

漆黒に沈んだ、引き込まれそうな闇色のそれを見つめて、こんな綺麗な瞳を見たことってないかも、と綱吉は半ば本
気で思った。
雲雀は何のつもりで自分を見つめるのだろうと、雲雀の瞳の中に映る自分自身の顔を見ながら綱吉は考える。

ちりちりと、時折殺気のような居心地の悪い熱を感じる、それでもそれはほんの時々の一瞬で、またすぐに静かな色
をその瞳は湛えるのだ。

息さえつけずにそれをただ見つめる。

綱吉には雲雀が何かを見極めようとしているかに思えて、逸らされない瞳をただ享受していた。
雲雀がその先に得るだろう答えを見届けるためであるかのように、綱吉も静かに雲雀を見つめる。

わずかばかりその瞳を見つめて、雲雀はふっと体の力を抜いた。

殺気を込めた視線を投げてみたところで、静かに見つめてみたところで、雲雀が自分を傷つけることはできないと綱
吉にはわかっているようにも思えて、つまらないと思うよりは先に脱力したからだ。

もしも雲雀相手に綱吉が一度でも本気になれるのだとするならば、綱吉は雲雀より強いのかもしれなかったが、それ
でも雲雀にとっては、そういうこととは関係なしに、もう彼を戦闘対象としてみることはできないのだと気づいてしまっ
た。

なのに興味は失われない。むしろ増したくらいだ。
雲雀はどうしようもないような気持ちで溜息を吐き出した。いいかける。

「ねえ。きみは僕を追い詰めたいの」

どんな感情も覗かせない雲雀の声は低く、だというのに常からは想像もつかないほどに、か細く響くのを、綱吉はどこ
か呆然と見下ろしていた。
その視線から逃れるように顔を背けた雲雀の低い声が響く。

「僕は君みたいに優しくない。だから、知らないし、よくわからないんだ。君を咬み殺したいのか、・・・・抱きしめたいの
か」

声は密やかに、それでも叫ぶような響きで紡がれていく。

「他に対する衝動は常に一つだよ。咬み殺したくなるだけだ。君には、二つ」

そう言ってから。雲雀は途方にくれたような顔で綱吉を見上げた。

「きみだけは、特別なのかもしれないな」

「僕は君にだけは執着しているのかもしれない。執着できるのかもしれない。執着してしまうのかもしれない」

同じ言葉を躊躇うようにしながらも、雲雀は言い方を変えて三度呟く。

「僕がどうしたいのか、それは僕にも分からないんだ。それが僕の後悔なのか、可能性なのか、もしかすると、絶望な
のか」

綱吉は呟く雲雀の髪に、衝動的に手を伸ばした。

今の雲雀には、やはり甘えてくる子供のような気配がしたからだ。
撫でる指先をこそ欲しているように見えたからだ。
それはただの気のせいかもしれなかったが伸びる手を止められずに。
自分でも戸惑うようにしながらも、綱吉は雲雀の漆黒の髪を、撫でるように指先を動かす。

おとなしくされるがままになっている雲雀に綱吉は言いかけた。

「オレ、よくわかんないですけど。後悔とか絶望とか、悪い意味に考えないほうがいいですよ、てか、いいと思います。
プラスの方向に考えれば、そっち向きに自然と行くものだってあるし、そのほうがいいと思うんです」

「じゃあきみは、僕の中にあるこれはなんだって言うの」

撫でる指先に薄く目を閉じながら、雲雀が呟く。

「オレはヒバリさん本人じゃないからそこまで分かりませんけど、友達になりたい、とか・・・・ないですよね!オレなん
かと!すみません!!」

綱吉は言いかけてから即座に取り消し、迅速に詫びる。
いくらなんでもこれは調子に乗りすぎだと思ったからだが。

雲雀はそうは思わなかったようだった。一瞬だけ目を見開いてそれから言ってくる。

「それ、やってみようか。僕は友達なんか欲しくないし、いらないけど。君がそうかもしれないって言うなら」

「いや!わからないですから!いらないなら、無理にやってみなくても!!」

この人と友達って、それはそれで怖ろしい、第一どう扱っていいかわからないし、と思い当たった綱吉が全力でその
意見を取り下げようと食い下がった。

雲雀は気にした様子もなくマイペースに続ける。

「うん、でもそれに決めた。君、毎日放課後に応接室においでよ。どうせ部活は入ってないんだろう」

「いやいやいや!でもリボーンのヤツが早く帰ってこないとうるさくて!アイツ、オレのカテキョなんですよ!」

聞けよ、人の話!!と内心叫びながらも、さらに食い下がる綱吉に、雲雀は問いかけた。

「ふうん?勉強とか教えてくれるのかい」

「ええまあ・・・・それだけじゃないけど、そんなところです」

聞き入れてくれる気があるのかと綱吉は少しほっとしながら言い加える。

「じゃ、僕がそれやるから。赤ん坊にそう言っといて」

「ええ?!」

「なに。文句あるの」

拒否権はないらしい。これが正常な友人関係化といえばそうではない気がするが。
まだ命は惜しい綱吉は、ぶんぶんと首を振って否定した。

「いいいいえええ!!ないです!」

「じゃあ明日からね」

満足げに笑った雲雀が綱吉の頬に手を伸ばしてくる。指先で優しくなでるようにというよりは、それこそ肉食獣が草食
動物の頚動脈を捜すような、そんな仕草でなぞりながら雲雀は笑っていた。

「友達になるんだからもちろん、咬み殺したりしないように努力するよ」

言われたぞっとしないような言葉に、綱吉は一瞬息を詰める。

その一瞬後、戸惑ったような疑問系で礼を言った。

「あ、ありがとうございます?」





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